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南アジア系学生との関係

偏見だと思われるならそれはそれで仕方ないが、インド、バングラデシュ、スリランカから来ている学生について何となく文化的な隔たりを感じるので書いておきたい。出身国でキャラクターをひとくくりにするのは良くないことだと重々承知はしているのだが、色々とコミュニケーションを積み重ねる中で、この地域の学生とだけはどうも納得いかないことが多すぎる。

先ず、去年の10月に行われたASIA NightというFletcherのアジア学生による文化祭のようなイベントでのことだ。オーストラリア人の留学生が、ニュージーランドのマオリ族がやっているハカという踊りを皆で一緒に出し物としてやろうと提案したので、自分も参加することにした。ハカはオールブラックスというニュージーランドのラグビーのナショナルチームが試合前に踊ることでも有名なので、ステージでは皆黒Tシャツに黒短パンというラグビーっぽい衣装で臨もうということになった。

皆敢えて新しい物を買う必要はないということで、持っている人は自分のTシャツ短パンを、持っていない人は誰かから借りるなどして調達するという流れになっていた。何人かはSocial ListというFletcherの学生ほぼ全員が加入しているメーリングリストで短パンを貸してほしい等のメールを送っていたのだが、見つからなかった学生もいたので、役に立てれば思い、自分が持っていた短パンの1つをリハーサルの1時間程前にバングラデシュ人学生に貸すことにした。バングラデシュ人が部屋に短パンを取りに来たときには自分とのサイズの差が分からなかったで、持っていた短パン2つを両方預けて合う方を使ってくれれば良いとこちらが言い、本人も「分かった、10分で片方を返しにくる」と言って自分の部屋へ戻って行った。

すぐ返しに来ると思って部屋で待っていたのだが、数十分待ってもバングラデシュ人が戻って来ない。一方でリハーサルの時間は迫ってきているので、自分自身が2つ渡したうちの1つの黒短パンを履いて会場に向かわないといけない。どうしたものかと思って本人の部屋へ行ったところ、同居していて同じくハカに出るスリランカ人も同じく黒短パンがなかったため、貸してしまったと言う。自分は2枚持っていて片方を自分が履くので、もう片方は使って良いと言ってバングラデシュ人に貸したのに、自分が使うことになっていた短パンを持ち主の許可なく勝手に又貸ししてしまったのだ。リハーサルも迫っていたので、スリランカ人がどこにいるか聞いたのだが、短パンを履いてそのままどこかへ行ってしまったのだと言う。唖然としたが、パンツだけでリハーサルに出る訳にもいかないので、黒短パンと形の良く似た紺短パンを履いてリハーサルに出ることにした。

リハーサル会場に行くと、相変わらず自分の短パンを履いたスリランカ人が「悪かった、今から脱ぐか?」と履いたままの短パンを見せながら言ってくる。さすがにそれを脱いでもらって生温かい短パンを試合後のサッカー選手のように交換する意味も気力も感じられなかったので、そのまま履いておいてもらうことにした。バングラデシュ人もスリランカ人も、どちらも確信犯なくせに無邪気を装う姿が気に食わなかった。結局本番も同じ短パンで踊る形にして、使った後返してくれれば良いと思っていたのだが、使用後の短パンが返ってくるのも遅い。1週間経って危機感を覚えたので、「洗濯しなきゃとか律儀に考えなくてもいいから、都合のいいときに返しに来て。」という暗黙のリマインダーメールを送った。これはさすがに通じたようで、その後無事に短パン2つが洗濯した状態で返ってきた。

上記の出来事はあまり気にしないようにしていたのだが、今日吹雪で中止になったL233 International Finance and Fiscal Lawの補講授業での出来事で、そのことを沸々と思い出してしまった。隣には1980年代風のファッションに身を包み、これまた古風な髭を蓄えた2年生のインド人学生が座っていたのだが、そいつがカバンからノートを取り出すときに自分の右腕に思い切り当たった。インド人ということでその瞬間少し予想はしたのだが、案の定謝りもせず無視して授業を受け続けた。この学生は普段から愛想も悪いし笑いもしない。笑わないのは文化的な違いかもしれないので仕方ないとは思うのだが、せめて迷惑を掛けたときは謝るという習慣は持っておいた方が良いと思う。

それぞれに小さい出来事ではあるのだが、Fletcherに来てから起きた一連の出来事がつながり、「お前ら南アジア人はよぉ。。。」という感情を持つに至った。もちろんそれぞれの学生の良さは分かるし、お互いに刺激し合いながら自分達を高め合えたらとは思う。しかし、日常生活の基本的な部分で他人に迷惑をかけるというのは次元の違う話だ。もし人に迷惑をかけてはいけない、迷惑をかけたら謝らないといけないという文化がないのだとしたら、国際社会で自分達自身がうまくやっていくためにそれを必死で習得すべきだ。

国連フォーラム」というウェブサイトに掲載されている「国連職員NOW!」という職員のインタビュー記事では、「日本人の人に対する思いやり、敵を作らず上手く調整する能力、物事をやり抜く能力といったものは国際社会で高く評価されるものである」といったコメントを多く見かけるが、これはその通りだとFletcherに来て思うようになった。相手の感情や都合を第一に考えて行動するという規範は必ずしも全人類で共有されているものではなく、むしろ日本人特有のものであるように思う。1つ1つの出来事に対する個人的な怒りを捨て、日本人として持っている良識を上手く使って他国の職員を感化できるような職業人になれれば良いと思う。その前にこういった感情の吐露を抑えないといけないとは思うが。
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