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PCが壊れてしまった。機能は問題ないのだが、電源コードとPC本体の接続部分が機能しなくなってしまい、電源が入らなくなった。電源が切れる直前に作業中のペーパーをGmailアドレスに送ったので、期末ペーパーと修士論文の作業には支障がなかったのだが、これまでに作成したペーパーその他の文書は使えなくなった。電源部分の部品を交換すれば修復できると思うが、帰国までの時間と既に2年近く使ってきたPCであることを考え、新しいPCを買うことで対処しようと思う。次のPCは、Macbook Pro 2012 13inchにする予定。ドル建てで買った方が安いので、アメリカで買って日本に持って帰ることにする。期末までの作業は大学院のデスクトップPCで行うことにした。使い慣れたノートPCに比べると慣れていない分不便だが、多少の不都合は受け入れるしかない。
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火曜日にInternational Finance and BankingのCertificateに関する申請書をRegistrar's Officeに提出した。Certificateは修士号の学位に加えて専攻分野に対する専門性を示すために用意されているもので、各Certificateの取得要件となっている授業を、卒業要件である16単位中10単位近く取得すことで受け取ることができる。Certificateの称号は数種類あり、自分が申請したInternational Finance and Bankingの他に、Strategic Management & International Consultancy、Human Security、Diplomatic Studies、International Developmentというものがある。他の大学院にもCertificate Programはあるそうなのだが、FletcherはMaster of Arts in Law and Diplomacy(MALD)という多くの学生の専門性と全く異なる学位を受け取ることになるので、Certificateを受領するメリットは他の大学院の学位に比べると大きいと思う。

Certificateを取ることは、特にすごいことではない。 取得要件となっている単位を従順に4学期間消化し続けることができれば誰でももらうことができる。一番必要なのは、2種類の専攻に関する単位取得要件とCertificateの単位取得要件を同時に満たせるよう、スケジューリングをきちんと行うことだ。10単位近くあるCertificateの要件と各4から4.5単位ある専攻の要件を同時に満たすためには、1学期目に4学期分のスケジュールを組んでしまっておく必要がある。専攻のうちの1つの取得単位をCertificateの取得単位と重ねることができるので、13-14単位で全要件を満たし、2-3単位分は自分の好きな科目を履修する形になる。

自分自身は必要単位を揃えるのに13.5単位を使った。自由に選択できたのは、最終学期に履修したP205 Decision Making and Public PolicyとP266m Islamic Worldだけだった。Decision Makingの方は、授業が月曜日と水曜日で評価が甘いらしいという理由だけで選んだので、履修したかったものはほとんど取れなかった。途中Econometricsという授業を専攻の1つとしていたDevelopment Economicsの選択授業として履修しようとして、前提要件であるStatisticsを履修したのだが、結局Econometricsが大変らしいと聞いてRural and Agricultural Development in Developing Countriesに逃げたので、Statisticsの1単位分を無駄にしてしまった。せっかく国際関係大学院に来たのでInternational Relations: Theory and PracticeやForeign Relations of the United States to 1917、since 1917といった国際関係の授業を履修したかったのだが、履修要件になっている授業と時間が重なっていたり、他の授業をこの学期に取ると必修授業を履修できなくなってしまう状況だったりで、結局3つとも取らずじまいで終わってしまった。

Certificateはどんな成績であっても単位さえ揃えればもらえるものなので、取りたい授業を犠牲にしてあまり興味の持てない授業を取るメリットがどこまであるかは疑問なのだが、1学期目に受領できるようスケジュールを組んでしまったので、結局最後まで流れに乗って求められるがままに授業を取った。国際関係大学院らしい授業は、将来のどこかのタイミングで取れればと思う。国際関係大学院で勉強しなかったことを今後の人生で勉強できる可能性はとても低い気はするが。
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締切の感覚の投稿で書いた、プロジェクトファイナンスの試験が未提出だったバングラデシュ人の学生と今日立ち話をした。試験の提出について聞いたところ、未済とのことだった。今学期の課題に追われて手がつけられていないそうだ。同じ授業を履修していたスリランカ人の学生もまだだと言う。やはり締切を設けてもらわないと書けないのだそうだ。学位取得のための所定単位数取得期限が迫っているため、何とかしないといけないと焦っていた。自分を含め、修士論文の最終稿提出期限が迫っている多くの学生と立場は同じだと思うが、1学期半前に受けた授業の試験に今取り組むことの方が、現在進めている修士論文を完成させることよりも難しいだろう。締切があやふやだったという一点により、たった0.5単位の授業の単位取得が泥沼化してしまっている。何とも皮肉な状況だ。
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4月15日に放送された『情熱大陸』で、安藤美冬さんというノマドワーカーについて知った。ノマドワーカーとは、遊牧民を指す「ノマド(Nomad)」のように、本拠地を特に持たずに仕事をする人のことを指すそう。安藤さんは自宅とWifiが使える近所のカフェを主な仕事場として、インターネット上で仕事上のコミュニケーションを行っている。集英社の雑誌編集出身だが、肩書きは編集者ではなくただ「フリーランス」で、ノマドワーカーとなってからの仕事内容は編集業務そのものとは無縁であるとのこと。主にTwitterを通じて潜在的なビジネスパートナーを探し、ソーシャルスクールの運営、不動産開発に関する助言など、多方面での業務に繋げている。編集者がよく取ると思われる「フリーランスの編集者」という道ではなく、「自分が関わったことのない分野での活動」をテーマとして自身で運営する会社を経営しているそうで、手がけるビジネスの範囲は今後広がっていきそうだ。

安藤さんの「セルフブランディングを通じ、個人として仕事をする」というスタイルや、「意見をはっきり伝えることで、関わる仕事に付加価値を与える」というキャラクターはとても魅力的に映ったが、一方でこの人が何を仕事としている人かが掴みづらいという面も、情熱大陸の放送を観る限りではあった。最も強く感じたのは、安藤さんが「ノマドワーカーというスタイルを通じて仕事をしている」のではなく、「ノマドワーカーであることそのものをアピールすることを通じて仕事をしている」のではないかということ。安藤さんがライターとしての業務をソーシャルネットワークを通じて出版社と一緒にやっているのなら、それがノマドワークであると分かる。しかし、ノマドというワークスタイルの紹介を軸として仕事をしているのであれば、ノマドが手段でなく目的になってしまう。ノマドワーカーであることのみを売りにしてノマドワークを続けることは、ノマドという言葉やワークスタイルの提唱にはなっても、安藤さん自身の専門性や能力を磨くことにはなり得ないのではないか。

もしかすると上記は自分の誤認で、放送時間30分の情熱大陸の場では安藤さんの発した本質的なメッセージが明確に伝わらなかったのかもしれない。ただ、放送を観て、インターネットでご本人のウェブサイト等を閲覧した限りでは、ノマドワーカーというワークスタイルを世間にアピールすること以上の価値を与える仕事をしているようには感じられなかった。究極的に例えれば、ある個人が小説家としてのワークスタイルを世間に向けて発信する一方で、小説そのものは書いたことがないという状態に似ていると思う。ただ、事実として自分自身がノマドワーカーの正確な定義や安藤さんの活動の全容を知らないという前提があるので、より明確な理解ができるよう努めたい。
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by UbuntuK | 2012-04-24 08:21 | 雑考
ミッドタームの試験とレポートの結果が今日でようやく出揃った。

B221 International Financial Managementは思っていたより大分悪く、がっかりな内容だった。エッセイ60%、計算40%の配点で、エッセイはそこそこの出来、計算は相当の出来と思っていたのだが、それぞれもう一つの出来という結果だった。特にエッセイは、もう少し言葉選びに気をつけて、ある程度の分量を書かなければ期末試験も同じような結果になってしまいそうだ。

P266m Islamic Worldの中間ペーパー5枚は、A-だった。厳しい評価を付ける教授ではなく、周りの学生のペーパーを盗み見ると結構Aの人がいたので、こちらもあまり良い出来ではなかったようだ。春休み中に急いで仕上げて提出しようとしていたところに、一週間の提出期限延長を認めるというアナウンスがあったので、もう一週間内容をレビューする猶予があったのだが、内容について更に思い悩むのが面倒になって、元の期限通りに提出してしまった。もう少し貪欲になって練り直した方が良かったかも知れない。

中間の課題ではないのだが、たまたま提出期限が学期中盤になっていたP205 Decision Making and Public Policyの3本中2本目のレポートはAだった。これは過半数の学生がAをもらえる評価基準になっているので、おかしな内容ではなかったという程度だと思う。一本目のレポートでA-をもらってしまっているので、最後のレポートでAを取らなければ、最終評価でAをもらえることはない。最終レポートはNSC Meetingという政策決定シミュレーションの前に提出してしまっているので、後は結果を待つしかないのだが。

B225 Corporate Finance and Banking: East Asian Perspectiveも同様に、3本のレポートのうち3本目がミッドタームの少し前の時期だったので、評価済のものを春休み明けに受け取った。評価はレポート3本でストレートA-。出来はそれぞれに違うと感じていたのだが、どうもA-の評価とする幅が広いようだ。よっぽど良くなければAにはならないし、よっぽど悪くなければB+にもならないらしい。去年この授業を履修した韓国人の成績もA-だったので、とてもA-づいている授業らしい。期末レポートでよっぽどのものを書かない限り、成績はA-になるだろう。

それぞれの科目について、これまでの評価はそこそこといったところなので、良い成績を取るためには期末の課題で良い評価を得ないといけない。期末で多少失敗しても大丈夫という余裕は、どの授業にもない。
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先週金曜日にバングラデシュのグラミン銀行創設者、ムハマド・ユヌスの講演会がタフツ大学の講堂で行われたので、聴きに行ってきた。講演内容はノーベル平和賞を受賞した頃に執筆された自伝をカバーしたもので、目新しいものではなかったが、本人が直接話しているのを聴くと、より説得力があるように感じられた。一方で、講演内容がグラミン銀行創設の理由や人間の能力開発に関する信念など、2006年のノーベル平和賞受賞時とさほど変わらない内容であったことが少し残念に感じられた。下記は講演録とその感想。

貧困からの脱却
ある職業を得て生活するために必要な能力が備わっていても、途上国ではその職業に就けないことがある。例えば、将来医師になりたいという勉学に秀でた少女がいたとしても、家族に教育を受けさせるだけの財力がない場合、それを叶えることはできない。これは家族が悪いのではなく、貧困と、貧困を作り出す社会が悪い。人間に本来備わった生きる力は相当なものであるにも関わらず、それを社会が貧困を作り出すことによって封じ込めてしまっている。人間が本来の能力を発揮できるよう、社会から貧困を除去することが私の使命であると考え、これまで取り組んできた。

ソーシャルビジネスの概念
私はソーシャルビジネスという概念を提唱している。ソーシャルビジネスは、自分が利益を得るだけでなく、ビジネスを通じて便益を享受する側に十分な便益が生じることを前提としている。仮にビジネスが売買が成立したとしても、売り手側のみが利益を得る取引は、単なる搾取に過ぎない。売り手が利益を得ることは必要であるが、買い手側においても取引の対価としての便益が正当に生じることが必要である。売り手、買い手双方の便益が担保されることにより、社会が最も有益な形で発展する。この形態が成り立つことがソーシャルビジネスを定義する上での前提となる。

感想
グラミン銀行が脚光を浴びて以来、バングラデシュをはじめとする南アジア諸国ではマイクロファイナンスを実施する機関が乱立し、供給過多となっているようだ。また、貧困層に小口の融資を行うというビジネスモデルの性質上、融資コストは高く、各マイクロファイナンス機関は平均で年率20%程度の金利を課している。マイクロファイナンスの供給者の増加や過去の融資回収データの充実により市場が効率化すれば、金利はよりリーズナブルな水準に低減されるべきだが、現状の金利水準は高止まりしたまま推移している。

恐らく毎年膨大な数の場所で行われているムハマド・ユヌスの講演内容は、ノーベル平和賞受賞時の5年前からあまり進化していないように感じられる。現在は、マイクロファイナンスの台頭により生じた新たな課題を解決し、貸し手にとっても借り手にとっても必要十分な金融市場を作るための施策について、ムハマド・ユヌス自身が提言を行っていくフェーズに移っている。多くの人々がマイクロファイナンスやグラミン銀行、ムハマド・ユヌス自身のビジネス哲学について理解を深めている現在では、自身の経験や哲学に関する説明に加えて、現状のマイクロファイナンスが抱える問題とその解決策に関する指針を詳しく説明することが求められていると感じた。
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先週一週間は今学期で一番忙しかった。月曜日にはP266m Islamic Worldの個人プレゼンテーションがあり、水曜日にはP205 Decision Making and Public Policyの政策決定シミュレーションとB225 International Financial Managementのグループレポートの提出がった。

P266m Islamic Worldについては、直前になると他の授業の準備に時間が割かれて何も準備できないと思ったので、前週の金曜日と土曜日を使ってプレゼンテーション資料を作り、直前に10分程内容を見ただけで本番に臨んだ。練習をする時間が取れなかったのだが、良くもなく悪くもなくという内容で終わった。もしかすると練習しても質があまり変わらなかったかもしれないので、最小限の時間で準備したということで、結果的に良かった気がする。

P205 Decision Making and Public Policyの政策決定シミュレーションは、クラスを6グループに分けてそれぞれにアメリカ国家安全保障委員会出席者の役割を与え、大統領役のゲストに政策提案を行うというもの。役割は国務長官や防衛長官、エネルギー長官、大統領補佐官等で、自分は防衛長官の立場だった。シミュレーション自体は1時間15分の授業時間内に終わるのだが、シミュレーションに向けて事前に学生間でミーティングの機会を複数回持ち、前日迄にそれぞれが2枚の政策メモを教授に提出して、自分のポジションを明確にした上で本番に臨まなければならない。そのための準備がかなり大変で、事前ミーティングとそのためのリサーチにかなりの時間を割いた。先週に入ってからも月曜日の昼に詰めのミーティングを行い、月曜日の夜と火曜日の夕方を使って政策メモを書き、夜にシミュレーションで頭に入れておくべき情報を読むという作業をした。自分自身の内容はそれほど良くなかったが、ミーティング全体に対しては教授が満足したようで、後で全員にメールで「出来が良かった」というメッセージを送ってきた。忙しかったが、後悔して変に引きずる結果にはならなかったので、取りあえずは安心できた。

B221 International Financial Managementでは、要求されている3本のグループレポートの最後のレポートに取り組んだ。木曜日の夜に一度皆で集まったのだが、大多数がきちんと内容を読んできていなかったので延期になり、日曜日の夕方4時から再度ミーティングすることになった。そこでもその場で課題文が何を言っているのかを皆で考えるというプロセスになってしまったので、月曜日に教授に会い、詳細を確認することになった。教授との面談には授業があって出られなかったのだが、一応良い情報が得られたようだったので、面談に出た学生が該当箇所の計算とライティングを行い、自分は別の箇所の計算とライティングを行った。火曜日にもう一度会ってそれぞれが作業した内容を照らし合わせ、夜にようやく最終版が完成した。

2つの授業のメインとなるコマが偶然重なり、別の授業についてグループレポートを書くことになったので、突発的に忙しくなってしまった。しかも2つの授業についてはグループミーティングを複数回やらなければならなかったので、時間的な制約と精神的疲労も大きかった。水曜日に行われたP205のシミュレーションが終わったときにはかなりぐったりして、その日の夕方に行われているB225 Corporate Finance: East Asian Perspectiveの授業の予習をさぼってぐったりしていた。

この後は、B221 International Financial Managementのグループレポート2枚、B225 Corporate Finance: East Asian Perspectiveの期末レポート15-20枚、P266m Islamic Worldの期末レポート12-15枚を提出した上で、5月4日にB221の試験を受けると全て終了となる。P266mについては木曜日から土曜日でレポートを書き、今日内容の見直しを行ったので、今週末で課題が一つ減った。修士論文の修正がここに加わってくるが、あまり膨大な量でないことを祈りたい。
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修士論文の最終版提出期限が4月30日になっていることもあり、同級生に合うと論文の進捗の話をすることが多くなった。これは春休みに入る前の話なのだが、Kim Wilsonというマイクロファイナンスの教授を指導教官としている学生から、「あの人は12月16日を提出期限に設定していたから、前学期中に提出した。」という話を聞いた。冬休みを挟まず秋学期中に仕上げるのはかなりの労力を要するので、間に合わせたことに感心しつつ、春休みは何をするのかと聞いたのだが、「秋学期に提出しなかったプロジェクトファイナンスの期末試験をやる。」という答えが帰ってきた。

プロジェクトファイナンスの授業は秋学期の前半で終わる0.5単位の授業で、試験提出の締切は11月2日だった。それを春学期の前半が終わるまでやっていなかったのだそうだ。試験はシングルスペースで5枚程度+エクセルのスプレッドシート1枚という、どう考えても修士論文より手間の掛からない内容なのだが、そちらは後回しにしていて、成績がSuspendedになっているとのことだった。本人曰く、「締切を設定してくれないと頑張る気になれない。」とのこと。実際試験の提出期限はあったのだが、教授の寛大な措置により、実質的には「いつでもいい」ということになっていた。

それにしても、締切を決められれば60枚-100枚が指定されている修士論文をさっさと書くことができて、決められなければ6枚程度の試験を提出できないというのが驚きだ。論文を提出したのであれば冬休みは丸々試験に充てることができただろうし、春学期が始まってすぐの授業の課題が少ない期間に書くことだってできた。精神的に追い詰められないと、ここまで人間は悠長になってしまうのかと思った。もし自分が当人の立場だったら、成績がSuspendedになっていることに恐れおののいてしまうが、外国人学生は教授や大学院の措置にフレキシビリティがあることを知っているので、それを思い切り利用しようとする。試験や課題提出の締切は、これにより大抵の授業で予定よりも1週間程度延びる。

プロジェクトファイナンスの試験関連では、冬休みに図書館で会った学生が「これから試験をやる」と言っていてとても驚いたのだが、もっと上手の者がいた。この授業の成績が出るのはとても遅かったのだが、それは試験が全部提出されるのを教授が待っていたかららしい。そして、冬休みが明けても試験を提出していない学生についてはあきらめてSuspendにして、試験提出済の学生の成績を評価したようだ。4月も10日が過ぎ、その学生もプロジェクトファイナンスの試験を提出したのではないかと思う。今度会ったら聞いてみたい。心の中では、「夏休みにがんばるよ」と言ってもらいたいと思っているのだが、さすがに本人も卒業したいだろうし、それはないと思う。
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今年度は図書館で10才ぐらいの女の子が1人PCに向かっている姿を頻繁に見かける。最初は飛び級に飛び級を重ねた天才少女がFletcherの1年生として入学して来たのかとと思っていたのだが、実はFletcherの1年次に在籍しているシングルマザーの学生の娘だということが数ヶ月して分かった。平均入学年齢27才のFletcher Schoolに10才ぐらいの子供が入学できるはずがないのだが、事実が面白い方向に出るように妙な期待をかけてしまっていた。お母さんは子供の学校が終わった後の時間帯に授業を取っていたり、グループワークのミーティングがあったりするようで、その間子供は図書館のPCでウェブゲームをやっている。

日本人的感覚からすると、学童保育に預けたり、祖父母に面倒をみてもらったりして一人で過ごさないよう気遣うべきと考えてしまうのだが、ここはアメリカなので、その辺りはもっとフレキシブルに対応しているようだ。図書館で学校の宿題をやっていればまだ良いのかなとは思うが、ずっとウェブゲームをしているので、勉強の方は大丈夫なのかなと思ってしまう。これも宿題が大量に出る日本の小学校と違い、こちらの学校ではあまり宿題が出ず、学校が終われば自由にしていていいということなのかもしれない。初等教育は、アメリカよりも日本の方がずっとしっかりしているし、教育に対する親の考えもシビアで、全体的に優れていると思う。大学・大学院の教育になると急にアメリカの方が厳しくしっかりしたものになるので、高等教育は日本の方がもっとがんばらないといけないと思う。
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2年生になってから住んでいる家に新しいルームメイトが入った。元々Fletcherの卒業生と社会人と自分の3人で住んでいたのだが、Fletcherの卒業生が9月からアメリカで博士課程に進む前に本国のイランに帰ることになったので、3月から1部屋空いている状態だった。新しいルームメイトは、Fletcherの博士課程に在籍するNickというアメリカ人。まだ荷物を運び込んだだけのようで、家にはあまりいないのだが、1度だけタイミングが合って挨拶した。そのときは職業について知らなかったのだが、昨日たまたまFletcherの博士課程に在籍する別の学生にバスの停留所で会い、「Nickがあなたの家に来たでしょう?」と言われ、そこで初めて同じ大学院に在籍していることが分かった。自分が入居したときは特に何も感じなかったのだが、迎える側になると、新しい入居者が自分のせいで家を嫌いにならないか等と余計な心配をしてしまう。最低限、共有スペースを汚さず、音が自分の部屋から漏れないようにしておけば、問題ないとは思うのだが。
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