<   2012年 01月 ( 13 )   > この月の画像一覧

今日は意図せず授業をすっぽかしてしまった。1:55-3:10のIslamic Worldの授業が次の3:20-5:20の時間帯だと勘違いしていて、図書館に3時頃までいてしまった。授業の前にサンドイッチを食べようとカフェテリアに行くと、3:20からIslamic Worldと同じ教室で授業を行っている日本人の教授が来て話しかけてくれたので雑談していると、この後は自分の担当授業があるので、という話になり、そのときにようやく自分の授業が1:55からだったことを思い出した。それまで全く気づかず悠長にサンドイッチを食べていた自分が情けない。

言い訳をすると、この授業は月曜日1回切りのもので、水曜日にはまた1回切りの5:30-7:30の授業があるので、日々の時間割が若干ややこしいのだ。とはいえ授業は水曜日でもう3週目に入るので、いい加減覚えないといけない。今回やったリーディング2チャプターと関連ニュースの通読がとても勿体なかった。せめて、Islamic Worldを取っている学生に会ったらフィードバックを受けておきたいと思う。
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Fletcherでは修士論文の提出が卒業要件の1つになっている。指定ページ数はUS Letterサイズ/ダブルスペース/60-100枚で、執筆するテーマに関連する専門分野を持つ指導教授の元で書き上げていくことになる。指導教授に論文指導を受けることの許可を受け、当該教授から所定の用紙に署名をもらい、10月15日までに大学院に提出することが最初の要件だ。その後、秋学期、冬休み、春学期を通じて執筆を行うのだが、秋学期中は締切がまだ遠いことと授業が忙しいこととの両方から、執筆を進める学生は少ない。一方で一部の教授は秋学期中の提出を求めるので、それに従って執筆を進めた学生は冬休み前に論文提出が完了していることになる。

提出締切は2月15日なのだが、ほとんどの学生は締切の延長願を大学院に提出して、学期末の5月までに作成、提出するようなスケジュールを取っている。自分はというと、現在目標の60ページのうち37ページを昨日までに書き上げたところ。できれば2月15日に提出したいのだが、一次稿を教授に見てもらい、意見をもらって最終稿を出すというプロセスを行う前提だともうあまり時間がない。締切日に一次稿を提出するには十分間に合うスケジュールだと思うが、それでは教授も承認しないと思うので、締切5-10日前に教授に一次稿を提出できるよう書き上げ、教授によるレビューとそれを踏まえた自分の加筆修正に長く時間が掛かるようであれば、大学院に論文提出期限の延長願を提出することになると思う。
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2012年春学期の履修科目のうち、最後の1科目をどうしようと考えているうちに、登録締切の1日前になってしまった。B227 Islamic Banking and Financeの悪評を聞いてから、同じ時間枠で行われているP205 Decision Making and Public Policyと、月曜日の午後にあるP201Comparative Politicsのどちらかにしようと考えていたのだが、どちらも決め手がなく、決めかねていた。P205については授業に一度出てみたのだが、そもそも政策決定プロセスという分野に関心がなかったので、あまり興味が持てなかった。P201の方は、P205の授業に出た後で他の科目も検討したいと考えを変え、1回目の授業に出た同級生に意見を聞いたのだが、教授の話はつまらないし、試験一発勝負で作業負荷が小さいということ以外はメリットなしとの回答だった。

せっかく自由に授業を取れる学期なのだが、本当に取りたいと思える授業が残念ながら見つからなかったので、結局P205 Decision Making and Public Policyを履修することにした。この授業は学生の授業評価の点数も良く、課題も2枚のメモを3回提出するだけという形で負荷が少ない。リーディングを読んで、授業に参加しているうちに関心も沸いてくるかもしれないという期待を持つことにした。悩んだ末に決めた今学期の履修科目は下記の通り。

P205 Decision Making and Public Policy
政府、特に米国政府の政策決定プロセスがどのように行われているのかを、フレームワークを通じて分析する授業。Power Pointを使って説明が行われるので多少早口な教授の説明もロストしにくい。課題のポリシーメモは、直近の政策課題に対する提言を自分なりに行うというもの。授業の評価は良いし、教授は仏のMartelと呼ばれているそうなので、あまりひどい成績にならないということも期待している。

P266m-01 Islamic World
週1回、75分間だけ行われる0.5単位の授業。教授が毎週末アップロードするイスラム教圏の国家に関するニュース記事を複数読み、気になった内容について授業で教授に質問するという内容。Moduleということで、イスラム教圏の国家について広く浅く知るというコンセプトがあるように思う。学期の後半は、参加している15名弱の学生が関心のあるイスラム教圏内の企業についてプレゼンテーションを行う。プレゼンテーションは期末ペーパーと関連しているので、作業が過度に厳しい訳ではないと思われる。中間試験があるが。時事ニュースに関する教授の蘊蓄を拝聴する授業からどのような問題が出されるかは謎。ニュースと一緒に課される教科書の内容に基づく内容かもしれないが、授業内容とは関係なさそうだ。

B221 International Financial Management
Certificate in International Finance and Bankingで課されている履修科目の中で最後になる授業。この履修を終えれば、MALDの学位と併せてCertificateを受け取ることができる。1学期目からCertificateが求める授業の履修を始めて要件を充足させるまで、結局最終学期までかかってしまった。授業内容はB200 Corporate Financeの内容をInternational Financeの領域に広げたもの。為替レートや国際経済といったテーマも授業の内容に絡んでくる。前半部分は、前学期に履修したE230 International Financeの内容と重なっている部分も多い。後半はケース課題も増え、Corporate Financeの内容に近い個別案件の分析に重点が置かれることになると思う。

B225 Corporate Finance and Banking: East Asian Perspective
日中韓、台湾といった東アジア諸国のコーポレートファイナンスの歴史と特徴について学ぶ、セミナー形式の授業。ケースレポート3本、期末レポートと膨大な量のリーディングが課されるので、ある程度時間を割かなければならないと思う。学生数は6人程度になるので、発言の機会は得やすいと思う。加えて財閥や系列など、日本特有の企業文化に触れる機会も多いため、予習さえしっかりしておけば、履修者内唯一の日本人として高い貢献度を示すことができそうだ。せっかく自分のフィールドだから良い成績を取りたいが、評価の厳しさは分からない。去年履修した韓国人に聞いてみようかと思う。それによっては相当気合いを入れてレポートを書かないといけないかもしれない。
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長かった冬休みも終わり、2012年春学期が始まった。この学期が大学院生活の最後になる。今週は火曜日にShopping Dayという各授業のオリエンテーションを経て、水曜日から授業の1講目が早くも始まった。履修科目は大方決めていたのだが、B227 Islamic Finance and Bankingという授業の評判が学生間であまりにも悪かったので、別の授業に変えようと考えている。それ以外は予定通り授業を受けながら、課題を進めていくことになる。水曜日は2科目だけ授業を受けたが、どちらも内容は面白そうだった。作業負荷はかなりありそうだが、そこは我慢するしかない。
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iTunesで『孤高のメス』という映画を観た。この映画は、近隣の大学病院から出向している事なかれ主義的な医師達によって浸食された地方の市民病院の医療を、外部から来た1人の外科医が、高い技術と地域医療に対する強い意志によって立て直すという内容。

主演は堤真一で、シリアスな役だった『プリンセス・トヨトミ』の松平検査官以上に真面目で正義感の強い役柄だった。Pittsburg大学で生体肝移植の権威に付いて学んできたという医師の役で、様々な外科手術を見事にこなし、最後には日本では法律への抵触がグレーゾーンとされている脳死肝移植に挑む。手術のシーンは、役者の動きも人工的に作られた臓器もよくできていて、全く違和感がなかった。メスさばきや縫合は本物を見たことがないので分からない範囲ではあるのだが、血流を止めて手術した臓器に血液を流すシーンなどは、質感のある臓器が徐々に赤みを帯びていく様子が反映されていて、よくここまでできるなと感心した。

大学病院から来ている医師達はあからさまな悪役で、手術で簡単に動脈を傷つけたり、キャバクラのようなところで遊んだり、部屋でポルノ雑誌を見ていたり、タバコを引っ切りなしに吸い続けていたりする。これほどまでに悪くて手術も下手な医師がいるとは思えないのだが、正義と悪を明確に対照化するためには仕方のない設定なのかもしれない。

この映画で一番驚いたのは、シーン作りの細やかさだ。主人公がPittsburgh大学にいた時期に大学の石碑の前で撮った写真が、部屋の中に並べられた数十枚の写真の中の1枚として出てくる。これが、自分が冬休みにPittsburgh大学の前で撮った写真と全く場所で撮られたものだったのだ。Pittsburgh大学がどのような大学か誰も知らないだろうし、その石碑に至ってはどのような形をしているか誰も分からないだろう。自分もたまたまPittsburgh大学に行ったからそれがあの場所で撮られたものだと分かったが、そうでなければ絶対流してしまう。しかもその写真は数十枚出てくる思い出写真の中の1枚で、主人公がそれを手に取ることさえないので、劇中でほとんど役目がない。恐らく合成なのだとは思うが、敢えてPittsburgh大学時代の写真を誰も気づかないようなシーンのために作ってしまうところに驚いた。そこに驚けたということで、Pittsburghに行ってみて良かったと逆に思ったりもした。

この映画は日本アカデミー賞作品賞を取った映画だそう。正義と悪の対比があからさま過ぎて、そこだけはあまり好きになれなかったが、地域医療の問題や病院の腐敗体質がある程度のリアリティを持って描かれていたので、全体的に良い映画だったと思った。Pittsburgh大学で撮った写真まで作ったという事実についてはどうしても贔屓目に見てしまうのだが、そこまで細かく気を配っていることに好感が持てる。
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2011年秋学期の成績がようやく出揃った。原因はB226m Large Investment and International Project Financeの成績が出なかったことにある。教授の寛大な措置により、シラバス上の試験提出締切であった11月2日を過ぎても、試験の提出を受け付けるというプロセスになったことが理由だった。結局現時点でも期末試験を提出していない学生が多くいるため、提出した学生だけに取りあえず成績を授与するという方針にしたらしい。2011年秋学期の各授業の成績と印象は下記の通り。

L230 International Business Transactions: B
貿易や海外子会社設立、Foreign Direct Investment等、二国間でビジネスを行う際に必要となる法律や国際条約について学ぶ授業。全くの専門外だったが、International Finance and BankingのCertificateを得る上で必修になっていたため、受講した。Letter of Creditの概念等、今まで知らなかった知識を得られたことは良かったが、前学期に履修したL233 International Financial and Fiscal Law同様、大量のリーディングへの対応が不十分で、ほぼOut of Controlだった。グループプロジェクトで提出したペーパーはB+の評価で、期末試験の出来も非常に悪かった。試験についてはMIBの学生が回している試験対策メモを入手して勉強したのだが、問題にはほぼ対応できずという結果だった。法律科目には最後まで苦戦した。

E230 International Finance: B+
為替レート、金利、インフレ率等の関係について学ぶ授業。FinanceというよりはMacro Economicsと言った方が良い内容かもしれない。試験3回により評価される完全座学形式の授業だったが、授業中に教授の説明を理解することができず、試験前に該当範囲のプレゼンテーション資料を見返して、それを頼りに試験に臨む形になった。エッセイを中心に教授の意図通りの解答をすることができず、最初の試験でA-を取って以降はかなりひどい出来だった。法律科目同様、経済科目にも相当苦戦したが、この科目も苦労した授業の代表格。

E243 Agricultural and Rural Development in Developing Countries: B+
農業に対象を絞り、各農産国の関税・補助金政策や受給の均衡等について、マクロモデルを中心にディスカッション形式で学ぶ授業。リーディングのリストは非常に良かったが、イージーゴーイングなSteven Block教授の指揮に基づくフリーディスカッション形式の授業ということで、授業のほとんどは学生のうだうだ話に終始した。教授が間に入り、絶えず議論の方向を修正しながら進めていけばもっと良い授業になると思うのだが、今後もこのスタイルは変わらないだろう。課題は中間ポリシーメモと期末のグループペーパーおよびそのプレゼンテーションという内容だったが、中間メモは教授の意図が汲み取れず、具体性に欠けるということでB+、期末グループペーパーも同じく具体性に欠ける提案とのことでB+だった。どうすればもっと良い評価を得られるかという糸口が最後まで見出せずに授業が終了してしまった。

B226m Large Investment and International Project Finance: A
世界銀行を目指す学生の強い要望により設置されたプロジェクトファイナンスの授業。学生の要望から生まれた経緯から、IFCやEIB等、国際開発金融機関が関わる途上国のインフラプロジェクトに関するHBSのケースに基づいて進められる。Fletcher生の多くが就職を希望する分野に関連した授業であるため、学ぶ内容、学生の熱意ともに良いものであったと思う。一方で、講師は特にプロジェクトファイナンスに精通している訳ではない年配の教授で、授業で行われる説明は不十分であったように思う。若くて権威がまだなくても、熱意と現場経験のある講師に担当してもらえれば、より価値のある授業になると感じた。評価はグループレポートが熱意ある南アジア系学生のモデリングのお陰でAが取れ、期末試験もそれなりに時間を割いてがんばったので、最終評価としてAがもらえた。時間を割いて頑張った甲斐があったと思う。

B260 International Marketing: A
International Finance and BankingのCertificateに求められる授業のうち、ビジネス科目の中から選択可能な授業。MarketingそのものとNation Brandingのエッセンスについて学ぶ構成だったので、興味を持って臨んだのだが、内容のほとんどはMarketingそのものに終始した。特に、各授業の後半は各社のTVコマーシャルを見て参考にするというもので、本質的な理論やNation Brandingのケーススタディについてはあまり知識を得ることができなかった。評価はTake Homeの中間試験が解答の説明不足もありA-で、Nation Brandingに関するグループプレゼンテーションとそれに関するペーパーの評価が良かったことで、最終評価がAになった。グループプレゼンテーションは、教授の指示に忠実に構成したことが勝因になった。教授は「ただ単に対象の3カ国についてそれぞれが調べたことを発表するな。それらを比較して何が言えるかが重要だ。」ということを言っていたのだが、他のグループは3人3様に自分が調べた国を説明するに留まっていた。自分のチームはPost Conflict NationsというテーマでBosnia、South Sudan、East Timorの3カ国について、様々な角度から比較分析するよう心がけたので、教授からも学生からも評判が良かった。また、この授業ではPeer Gradingといってメンバーのプロジェクトに対する貢献度をメンバー同士で評価し合うという形式が取られていたため、一番働いた自分に最も良い評価が来た。手はあまり動かさないが饒舌に意見を述べる傾向がある外国人よりも、地道にコツコツ仕事をする日本人の方が、良い評価を得やすいシステムになっている授業だと思う。
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今日は学外の人とNBA、Boston Celticsのゲームを観に行った。Celticsはボストンに来る前から好きで、2007-08シーズンに全米チャンピオンになったときのDVDを何度も観ていた。その後段々と成績が落ちて来て、今シーズンは負け越しとかなり悪いスタートを切っているのだが、対戦相手がOklahoma City Thunderというあまり強くないチームということで、勝てると期待してチケットを取った。

ゲームが行われるTD Gardenというホームスタジアムは、地下鉄Green LineのNorth Stationという駅の上にある。ボストンから若干離れた田舎と言えば田舎という場所にある自分の家は、Commuter Railという近・中距離列車で1駅という距離にある。North Stationは長距離列車の発着も行われる大きな駅舎を地下鉄の駅とは別に持っていて、メインの待合所は、ドーム型のとても大きい造りになっている。このスタジアムはBoston Bruinsという2010-11シーズンで全米チャンピオンになったNHLのチームが一緒に使っていて、アイスホッケーの試合があるときはバスケットボールの床が畳まれてアイスリンクになる。一体どうやってその作業をやっているのかが驚きだ。

試合の方はそれなりに観客も入っていて、優勝時のレギュラーが4人スタメンで出ているというベストメンバーの状態だったので、かなり盛り上がった。また、優勝時のレギュラーのうち唯一移籍したセンターのKendrik Perkinsという選手がOklahoma City Thunderのスタメンとして出ていたので、運良く優勝時のレギュラーメンバー全員を見ることができた。試合そのものは前半の途中から一方的にリードされていて、第4クォーターの途中に少し追いついたところですぐにまた離されるという面白くない展開だった。最後に追いつきそうになったときは会場がとても盛り上がったのだが、また離されてしまい、残り時間と点差から逆転勝ちがないと分かると、観客は試合中に冷やかに帰って行った。最後のブザーが鳴る頃には、観客はほとんど残っていなかった。

安チケットながら、せっかく初めてCelticsの試合を観に行ったので、勝てなかったのは残念だった。優勝時とほとんど同じメンバーなだけに、今シーズンあまり勝てていないのが余計に残念だ。早く調子を取り戻してプレーオフで善戦できるだけのチームに戻ってほしい。帰りはたまたまCommuter Railの下り列車が良いタイミングで来ていたので、それに乗ってWest Medfordという駅で降り、そこから歩いて家に帰った。列車が着く頃には途中から降り出した雪が深く降り積もっていて、負け試合を観た寂しさと寒さで何だかやりきれない気持ちだった。

試合前のTD Garden
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MBTA Commuter Rail: West Medford駅ホーム
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今日はiTunesで『八日目の蝉』という映画を観た。テーマ設定、舞台ともに自分としてとても興味深く、面白かった。映画のあらすじは、家庭のある男を好きになった女が、男と妻の間に生まれた生後間もない女の子を連れ去り、その子を育てながら4年間逃亡するというもの。4年後にその女は逮捕され、子供は両親の元に戻るのだが、子供は本当の両親には懐かず、家族の絆は子供が成人しても尚得られない。そんな中、子供は家庭のある男と付き合い、その男の子供を妊娠する。

テーマ設定は、家庭を持つ男との間に子供を設けるという同じ行動が二世代間で同様に繰り返されるというものになっていて、大江健三郎の『万延元年のフットボール』や中上健次の『千年の愉楽』に見られるような構造主義的背景が敷かれているように思う。物語の中で繰り返される「家庭ある男との関係により妊娠する」事象を普遍的なものと捉え、その中で前世代の母親が誘拐犯の女に対して取った行動(実母は自分の子供を妊娠中、誘拐犯の女が男に頼まれて妊娠中絶したことを「からっぽのがらんどう」と罵る)に抗い、未婚の母という形で子供を産もうとする行為を、象徴的に浮き立たせている。原作の著者である角田光代は構造主義を元に書かれた過去の文学作品を意識しただろうか。していなかったらすいません。

舞台は、誘拐犯の女が子供と一緒に多くの時間を過ごした小豆島を中心に描かれていた。誘拐犯の女と子供が、かくまってもらっていた関西の宗教団体の施設から脱走した後、逮捕されるまでの期間を過ごした場所だ。小豆島は自分の父方の実家がある場所で、子供の頃から夏と冬の年2回訪れているところ。出てくる全ての風景がとても美しく、懐かしかった。あいにく田舎帰りは時期を選べないし、訪れる場所も観光地ではなく亡くなった祖父母の家や親戚の家なので、誘拐犯の女が働いたり、子供に色々なものを見せてあげようと島を巡るシーンがそれぞれにとても新鮮だった。中山千枚田、二十四の瞳映画村、浜辺、誘拐犯の女が働くそうめん工場等、父親の車で通りはしても決してじっくりと見ない場所がじっくりと撮られていて、自分にとってとても貴重だった。

一方、他の人のレビューで「小豆島のシーンが冗長。観光地をやたらと撮影していて、何か裏の力が働いているんじゃないかと思った。」というコメントがあった。小豆島にゆかりのない人にはそう感じるのかも知れない。ただ、誘拐犯の女は、小豆島に到着したときに「これから色んなものを一緒に見よう。」と子供に言っているのであり、それを体現するにはこのぐらいの描写は必要だったのではないかと思う。また、誘拐された子供が妊娠中の自分の子供について「色々なものを見せてあげたい。」と最後に言うのは、小豆島で誘拐犯の女である「疑似の母」から色々なものを見せてもらったという記憶が、自分自身の小豆島往訪を通じて鮮明になったからだ。そういう意味では、小豆島のシーンはこれぐらいの分量があって全く自然だし、ここを端折っては最後に子供が言う台詞に説得力が出ない。

テーマ設定と小豆島という舞台の両方でとても感銘を受けた映画だった。誘拐犯の女を演じた永作博美もすごく良かった。今は日本を離れているので、余計に郷愁をそそられた。誘拐犯ながら母親として子供に接している難しい立場だったが、子供への愛情が本当の母親のように良く表れていた。ぜひ、2012年の日本アカデミー賞で主演女優賞を取ってほしい。最近は若いときほどテレビも見なくなったし、何よりしばらく日本にいないので、「好きな芸能人は?」等という、あまり親しくない者同士が会話の時間を埋めるための適当な質問にも対応できなくなっていたのだが、今後は永作博美と言おうかと思う。
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今日はBSOの公演を聴きに行った。今回の公演は、ハイドンの『交響曲第90番』、Turnageという現役作曲家の『トランペット協奏曲』、リヒャルト・ストラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の3本。の本来土曜日の公演はCollege Cardではあまり手に入らないのだが、冬休みで学生がボストンから離れているからか、配布開始日当日の夕方でもチケットが余っていた。土曜日の公演は、リハーサルと木、金曜日の2回の公演を経た4回目になるので、オーケストラの習熟度的にも一番良いと思う。

座ったのは学生用の安い席で、前から3列目だったので、指揮者の表情や動きが間近で見られてとても良かった。席から近い楽器の音が目立ち、音全体を聴くのが難しいというのが、College Card保有者にオーケストラ近くの席を提供する理由なのだろうが、自分はこちらの方が臨場感を感じられて良い。指揮者や演奏者がどのように曲を進めて行くのかも分かり、とても勉強になる。

今回の指揮者はMarcelo Lehningerというブラジル人で、BSOのAssistant Conductorというポジションにいる若手。本来は客演でヨーロッパから著名な指揮者を呼ぶ週だったのだが、予定していた指揮者が子供の誕生を理由に公演をキャンセルしたため、急遽この指揮者が振ることになった。若手にはこういう不測の事態が大きなチャンスになるのだろう。自分は誰の指揮がどうというのがあいにく分からないのだが、全身で情熱的にオーケストラをマネージしていて良かったと思う。クラシックは年を取るほど熟練して評価されるという風潮があると思うが、曲によっては若い指揮者がダイナミックに指揮する方が良い仕上がりになるのではないかと思った。

ハイドン『交響曲第90番』(Symphony No.90 in C, Joseph Haydn)
交響曲なので第4楽章まであるのだが、15-20分程度の演奏時間で退屈せずに聴けた。自分は音が分からないのでドレミそのものから和音まで印象で聴くことしかできないのだが、音色がとてもきれいで曲全体の統制が取れていて、とても良かった。指揮者が替わるとどこまで曲が変わるのかは分からないが、今回の指揮者は曲の節目のインパクトが明確に付くよう指示を出していたように思う。第二バイオリンが次の旋律の入りの前に静かな音楽を奏でているとき、指揮者が手を前に組んでじーっとそちらを見て、次の旋律の入りのところでまたダイナミックに振り始めるという動作が印象的だった。指揮棒を振らずに流す時間があるというのが面白い。

マーク=アンソニー・タネジ『トランペット協奏曲 "Wreckage"より』("From the Wreckage", Concerto for trumpet and orchestra, Mark-Anthony Turnage)
現役の作曲者によって2005年に作曲されたトランペット協奏曲。ノータイで現代的なコートを着たファッショナブルなトランペット奏者が2本のトランペットを持って現れ、演奏した。曲は確かに2005年作曲という感じの現代的な作りで、SF映画のバックミュージックのようだった。ハイドンの後にこれが来ると、あまりの違いに同じ楽器群が出している音とは思えない印象になる。こういう曲は悪くないのだが、敢えてオーケストラ編成でやらなくてもいいんじゃないかと思った。せっかくバイオリン隊がいるのにほとんど弦を弾かせているだけだったり、打楽器に音を頼り過ぎているところなどもあって、もったいない。一度聴いたことのある佐村河内守という日本の作曲家の『交響曲第1番』という曲と同じ印象を持った。こちらもバイオリンにはあまり仕事をさせず、鐘の音を多用する。馴染みのない曲だからか、この曲のときに指揮者は眼鏡を掛けて登場し、楽譜をつぶさに見ながら指揮していた。ハイドンの曲などは、やはり何度も聴いたり振ったりして覚えているようだ。残念だったのは、曲の最後の方に第二バイオリンの4列目辺りにいたおばちゃん奏者が咳をし始め、自分の演奏をやめただけでなく、咳の音を会場に響き渡させたことだ。これで一気に興ざめした。このおばちゃんが演奏をやめても曲に問題がないのなら、このおばちゃんの存在意義は?と思ってしまう。咳をし始めたタイミングも、後半の静かに終わりに近づく部分だったので、余計に目立った。演奏終了後は作曲家のTurnage自身が舞台に挨拶しに来ていたので余計に気まずい。演奏が終わった後は、横にいた若い中国系のお姉ちゃんが自分の喉を指しながら何やらアドバイスをしていたが、前後にいたおっちゃん達は我慢ならなかったらしく、厳しい表情でおばちゃんをたしなめている様子だった。この事件は近くにいたからこそ見えてしまった残念な出来事だった。遠くで見ていて知らずに過ごせれば良かったかもしれない。休憩中にスタッフのパネルが飾ってあるコーナーに行くと、そのおばちゃんの顔写真を指差してなじっているおばちゃんがいた。気持ちは分からなくない。

リヒャルト・ストラウス『ツァラツストラはかく語りき』("Also sprach Zarathustra", Richard Strauss)
哲学者ニーチェによる同名の著作について書かれた交響詩。この曲の導入部は『2001年宇宙の旅』のテーマとして使われているそうで、確かに耳慣れた旋律だった。前の曲をSFだなと感じたこともあって、またSFかという感情が曲と関係ないところで出てしまった。作曲者はSFなんて全く意識せずに書いたのに、申し訳ない。映画は観たことがないのだが、映画を契機としてテレビ番組や店のバックミュージック等でよく使われているのだと思う。この曲は、SF的イメージが付いて回ってしまっていることと、ニーチェの著作を読んだことがないという決定的な理由によって、曲を純粋に聴くことが無理そうだと感じた。曲は著作に示される思想全体を体現したものではなく、ストラウスが感動した部分を断片的に取り上げたものらしいので、読んでいないと余計に理解が難しい。一度竹田青嗣の『ニーチェ入門』という本を読んだことがあるので、ニーチェの考えが何となくは分かるのだが、音に表されてしまうとお手上げだ。

そういう訳で、今回はハイドンの交響曲第90番が一番気に入った。後の2曲は自分には理解できなかった。特に2曲目のトランペット協奏曲については、高齢の聴衆がメインのBSOの客層にはあまり理解されなかったのではないか。おじいさんおばあさんはきっと面食らったと思う。Turnage自身が登場したときも、皆申し訳程度に立ち上がって拍手している感じだった。心から感動したというよりはようこそボストンまでおいで下さいましたという、社交辞令としてのスタンディングオベーションという印象が強かった。ツァラツストラについては、今後の人生の中で時間があるときに、著作と音楽をじっくり比べてみたい。かなり後になってしまうとは思うが。

BSO入り口
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BSO看板
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BSOステージ(開演前)
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今日はスターバックスで修士論文を少し書いた後、家に帰ってiTunesで『阪急電車』という映画を観た。この映画は自分の地元から近い阪急今津線という短い路線を利用する人達の小さいドラマを扱ったオムニバスの構成で、ロケーション的な親近感のみならず、ストーリーにも感動できる内容だった。阪急電車という設定も良い。近隣は比較的落ち着いた住宅街で、混雑した東京の電車とは違って比較的ゆったりした状況設定ができる。阪急電車のエンジ色と木目調の壁も上品で、他の電鉄会社の車両よりも良い雰囲気を作り出せる。阪神電車や近鉄電車では、残念ながらこうはいかない。自分は近鉄沿線に住んでいたので、登場人物の設定においても沿線の雰囲気においても、阪急電車には敵わないことがはっきり分かる。本当は、映画に出てくるような落ち着いた雰囲気を地元の街並が持っているととてもいいのだが。

特に印象に残ったのは、登場人物群の中の1組である老婆と孫を演じていた宮本信子と芦田愛菜。宮本信子は関西と縁もゆかりもないのだが、若干のぎこちなさを残しながらも上手に関西弁の台詞を言っていて、努力の跡が見て取れた。他の役者の多くは関西人で固められていて、自然な関西弁の台詞が心地良かった。関西圏外出身の役者のほとんどは、不自然さを覚悟の上で標準語を話していたので、それを考えると尚宮本信子はすごい。夫の伊丹十三が亡くなってからはほとんど映画に出ていないとのことなので、他の役者に比べるとこの映画への準備に時間が取れたのかもしれないが、それを差し引いてもよくできていた。孫役の子は7歳らしいのだが、泣くシーンなどがとても自然で、よくこの歳でここまでできるなと感心してしまった。自分が保育園のときに演じた劇のビデオを観たことがあるのだが、それはひどい出来だったので、この歳でここまでやれることがどれほどすごいことなのかが身にしみてよく分かる。

それ以外では、いわゆる関西のおばちゃん達が電車内で迷惑な大声で騒ぎ立てたり、バッグを投げて席を確保したりするという典型的な光景が描かれていたことが印象に残った。皆派手な服を着て迷惑な大声で話しまくるという姿は全国的に有名になっているが、それを地で行くような映像になっていた。ただ、おばちゃんの悪行は関西に留まるものではないと思う。自分が東京にいた間にも同じような状況は経験した。地下鉄に乗っていたとき、わさわさと団体のおばさんが騒ぎながら乗ってきて、席を早足で探していた。自分は車両の隅だがシルバーシートではないという席に座っていたのだが、おばちゃん達はそれを見て、「ここの席取られてるわ。シルバーシートだけど。」と言いながら次の車両に去って行った。そもそもシルバーシートではないし、シルバーシートであったとしてもこのおばちゃん達には譲りたくないと心から思った。だって元気に騒ぎながら車内を走り回ってるし。自分だって、妊婦タグをカバンに付けた人が乗っていたら席を譲ったりしている。全てはおばちゃん達の行いの問題だ。それも、関西に限らず全国的な問題。

他には、阪急今津線沿いにキャンパスがある関西学院大学を受験したいが、今の成績では厳しいと担任から言われて悩む女子高生が登場していて興味深かった。関西圏以外の人にはあまりイメージが沸かないかもしれないが、関西学院はプロテスタント系の教育を行う清楚な学校で、関関同立と呼ばれる関西のトップ私学群の中でも校風に対する印象が抜群に良い。東京で言うと、青山学院や立教のイメージと重なる。そういう関西学院の学生を子供の頃から電車の中や近所で見てきて、憧れるという女子高生の気持ちはとてもよく分かる。立命館大と関西大は、どちらかというと法政や明治のイメージだ。だから、例えば女子高生が関西大に憧れるという状況設定は、関西学院に比べるとしっくり来ない。

この映画は夏に日本に帰ったときにぜひとも観たいと思っていたが、関西や地方中心にしか上映されておらず、時期的なタイミングも合わなかったので見送った作品。早い段階でiTunesに掲載されて本当に良かった。iTunesは1年前の冬休みに比べると映画の掲載本数が格段に増えたし、大々的に興行を行わなかった映画や面白いが興行に失敗した映画が、戦略的にiTunesで興行収入の補完を行おうとしているケースが増えてきているように思う。とにかくどんどん利用可能な本数を増やしていってほしいと思う。
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