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金曜日はイスタンブールのインターンで初めての外出を経験した。ずっとデスクワークで3週間過ごしてきたので、とてもありがたい経験だった。外出先はKoc University(kochiと読む。高知大学と発音はほとんど同じ。)というイスタンブール郊外の山の頂上にある私立大学で、訪問理由はUNDPの職員とKoc Universityのビジネススクールの教授が民間セクター開発に向けた協業を行っているため。今回はビジネススクールの学生が行うビジネスプランコンテストを見学した上で、マーケティングやストラテジーの担当教授とIICPSDにおける今後の民間セクター開発のためのディスカッションを行うという目的があった。

ビジネスプランコンテストでは6グループによるプレゼンテーションが行われたが、どれも既存の商品やアイデアを使った月並みなもので、UNDPの職員は多少がっかりした様子だった。自分としてはビジネスアイデアは確かに革新的でないと感じたものの、ポーターの5フォースやヴァリュエーションの手法等、恐らく学生達が授業で習ったであろう項目を使ってそれなりの形に仕上げていたので、参考になる部分は多かったと感じた。ただ、特に感銘を受けてこれが優勝だろうと感じるプランもなかったので、あまりぱっとしないコンテストだったのかもしれない。後は、今回のコンテストのテーマであった貧困層向けのビジネスアイデアという主題にどれもアプローチしておらず、至って普通のベンチャー企業が行うビジネスプランだったということが教授から指摘されていた。確かに教授が指摘しなければこれが貧困層向けのビジネスプランコンテストだとは気づかないような内容だったので、後で趣旨を聞いて若干驚いた。

コンテストの後はマーケティングの教授の部屋でUNDPが計画している民間セクター開発のプランと自分が作成した資料を見てもらった。短いミーティングだったので、内容については大枠しか説明できなかったが、資料について教授はある程度納得のいく内容だと感じたようだった。一方で、自分の作成している資料を使ったビジネスブローカー向けの研修が6月下旬に迫っており、スケジュールと資料を固めた上でKoc Universityの教授陣に研修でのレクチャーをお願いせねばならず、時間的に厳しい状況になっている。教授陣も忙しいとのことで、できるだけ早急にアウトラインをもらいたいとのことだった。自分も予定しているインターン期間があと1週間になっているので、UNDPの職員は少し焦っていて、教授とのミーティング後にUNDP職員と自分との間で行ったディスカッションに沿って資料を週末に修正し、合わせて研修のアウトラインを作成してほしいと頼まれた。

自分も短期のインターンの中で最大限の成果を出して任務を終えたいので、承諾して土、日と必要な作業に取り組んだ。本当はUNDPの職員の方で担当すると言っていた作業を本人が行っていなかったり、必要資料の提示が3週目に入るまで行われなかったりと、スケジュールがタイトになった原因は職員の方にあるのだが、毎日別のタスク等で忙しく飛び回っているので、この程度は仕方がないとも思う。よく国際機関はIndependentな組織で個人ベースで仕事が動くため、職員同士の連携や引き継ぎが難しいということが言われるが、一人一人に与えられるタスクが重く量も大きい上、職員数の不足を多数の短期インターンに委ねないといけないので、この問題はなかなか解決が難しそうだ。雇用のための予算が豊富にあり、多数の職員を長期契約で雇うことができなければ、この手一杯な状況は続くだろう。

Koc University正門
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Koc Universityキャンパス
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ビジネスプランコンテスト
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Koc University周囲の山の眺め
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国連職員のキャリア観、求められる人材像について書いておきたい。国連でのインターンが始まる前から認識はしていたのだが、国連は民間企業のように就職してトレーニングを受けながら求められる人材に育っていくというシステムではない。それよりは、各分野で活躍している人材がそれぞれの知識と経験を持ち寄って国連に還元するというシステムになっていると言える。それ故国連では採用した人材を徹底的にトレーニングするような機能はなく、それぞれがOJTで業務を学びながら、そこに自分が前職や大学院で得たものを付加価値として足していくというプロセスになる。

給与体系、雇用契約期間等は長く働き続けるようにはできておらず、キャリアの中の一定期間を国連での仕事に割いてくれる人に最低限報いるという程度のものだと思う。もちろん国連内での昇進制度はあるし、昇進するにつれて給料も高くなるのだが、同じ部署で何年働いたら昇進する、または昇進試験を受けられるというものではなく、一定のポストで数年の経験をした後、より高いポジションの公募に対して応募し、書類選考、面接を経て採用されなければならない。より高いポジションを得られた場合は事実上昇進となるが、自分で応募して採用プロセスを経ないといけないので、転職するのと労力やリスクは変わらない。

また、国連は正規職員を雇用できるキャパシティが予算の都合から限られているため、短期のコンサルタントやインターンを継続的に雇っている。短期のコンサルタントは前項で触れたShort Term Consultancy(STC)と呼ばれるもので、期間限定のアルバイトのようなものだ。Fletcher、Columbia SIPA、Georgetown MSFS等の国際関係大学院を卒業した学生は、競争試験やJunior Professional Officer(JPO)といった自分達の出身国政府が公募する比較的安定的なポジションを得ようとするが、その枠はとても限られている上、競争試験に至っては合格後ポジションのオファーがあるまで3年待ちということもざらにあるため、STCを使って国連での実績を積もうとする。このポジションは期間限定のアルバイトのようなもので雇用が極めて不安定なのだが、国連志望者は圧倒的にSTCのポジション数を上回るため、悪い雇用条件にも関わらずかなりの応募がある。

実際、現在のインターン先でもMcKinsey出身のコンサルタントが極めて悪い雇用条件の中で丹念にレポートを作成している。前職の給料と市場価値は現在の国連での仕事に比べると圧倒的に高いが、それでも国連で働きたいという動機からか、熱心に仕事に励んでいる。こういうどう控えめに見ても対等でない雇用者と非雇用者の関係が、国連の業務を成り立たせている。こういった形の仕事は、本来本業で十分な収入のある人が余暇でNGOや地域団体の活動に参加するというような、副次的な社会貢献として成り立つものだが、国連の看板が安月給のフルタイムでも働きたいというインセンティブを持たせているように思う。

インターンに関しても雇用条件は良くなく、自分の例と同様、無給、渡航費滞在費無支給という形で国連の全機関が受け入れを行っている。投資銀行、コンサルティングファーム等、就職した場合の初年度給与を支払う場所はもちろん、米国政府や世界銀行グループでさえ一定の給与をインターン期間中は支給するシステムになっている。それらと比べると国連のインターンは人気が低くても仕方がないように思われるのだが、STC同様、各公募に対して相当な倍率のインターンの応募が寄せられる。自分の場合はニューヨークキャリアトリップでFletcherの卒業生である現在のインターン先のディレクターに会うことができたので機会を得ることができたが、そうでなければインターンを国連から取ることはできなかったかもしれない。実際、通常プロセスのみで応募した同級生は応募した国連機関からインターンを得られず、夏休みは旅行して時間を潰すことになっている。

この決して良いとは言えない雇用条件を呑んで国連で働くには、よほどの情熱や問題意識が必要だと思う。もしくは、金持ちの道楽的に暇な時間を国際貢献にでも充てるというような、収入や職業の必要性から一段落ちたところにある第二次的欲求に支えられるものでしか、国連で働くことの動機を支えることができないかもしれない。この世界に対し引き続きアプローチするかどうかはまだ決めていないが、入るとしたらよほどの覚悟を自分の中に持ってからにしたい。入るにしても、競争試験やJPO等、国連や日本政府からある程度将来を期待されているポジションで入りたい。そうでなければ国連組織内の重要なポジションに就いたり、生活するに十分な収入を得ることが一生できないまま、STC等の短期ポジションを転々とすることになる。どんな契約でもいいからとにかく国連、と思って勢いで入ってしまうと、他の収入機会を断ち切ったことを後から後悔してしまいそうだ。
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現在勤務しているUNDPIICPSDに一時的に籍を置いている2人の職員のうち、現地採用のトルコ人職員の方と夕方オフィスで時間を取って話すことができた。UNDPのオフィスはトルコに2つあり、元々アンカラ近くにあったオフィスが大元なので、自分の勤務先であるIICPSDには2人とも来ていないことが多い。ニューヨークから来ている方のディレクター級の職員は今週一杯出張で、次に会うのは来週といった具合だ。

そういった状況の中、先週迄進めた作業についてようやく時間を取ってトルコ人職員と話すことができた。夕方まで作業の進め方に関する協議を行った後、夕食に連れて行ってくれるというので午後7時頃にオフィス近くのトルコ料理屋へ行ってまた話をした。夕方の話ではまだ作業内容について不確定なところがあったので、レストランで注文した後もその話をした。先方は多忙でなかなかこちらに頼んだ作業を詳細に見る余裕がないので、小出し小出しでアドバイスをくれる。本当はインターン初日に全て知っておきたかったUNDP発行の参考文献等も、2週間と1日経った昨日追加でもらったりした。それでも話し始めるときちんと筋道を立てて作業に関するアドバイスをくれるので、とても有意義にな機会だった。

作業についての話をした後は、こちらの今後の進路について聞いてくれたので、現時点で考えていることを話した。トルコ人職員はJohns Hopkins SAISの出身で、その前は民間企業で貿易関連の仕事に携わっていた。SAISはFletcherと学生の進路選択がとても良く似ているので、アドバイスはとても参考になった。

曰く、

国際機関に行く場合、Short Term Consultancy(STC)で行くのはとても大変なのでやめておいた方が良い。それだったらいっそ投資銀行やコンサルティングファーム等の民間企業に行って、それから国際機関を考えれば良い。自分自身は政府の奨学金をもらって留学した手前、留学期間の倍の期間は政府関係の仕事に充てないといけないため、仕方なくUNDPで働いているという事情がある。トルコは物価が高いので、給与補正によってそれなりの金額がもらえているが、他国で同じポジションの職を得た場合の給料はとても低い。もし国際機関に入りたいのであれば、ネットワーキングをがんばると良い。日本人の職員コミュニティのネットワークが強固であるなら、それを活用すべきだ。トルコ人コミュティのネットワークは使い物にならない。

SAISの同級生に世界銀行のSTCで職歴を数回つないでIMFの職員になった者がいるが、そういうケースは相当まれで、大抵はかなり苦労する。ちなみにSTCの給料は1日300ドルが上限で、経験に応じてその多寡が決まる。十分な経験があれば240ドル程度はもらえるのではないか。期間については150日が上限だが、1週間しか雇用期間が与えられずにその後1ヵ月無職で待機という人もいた。STCはあまり現実的ではない。

国際機関のコンサルタントの職は5月末頃に募集されることが多い。どの機関、部署も大抵年度予算を6月に更新することになっており、それまでに余った予算を使い切っておく必要があるため、そのタイミングでコンサルタントを雇い、余剰予算の中から給料を支払う。コンサルタントの職を得るために活動する場合は、このスケジュールを念頭に置いておいた方が良い。

大学院留学に関する奨学金の制約がないのであれば、選び放題だからぜひ民間企業を狙うと良い。投資銀行は1日20時間働くようなところだし、若いうちしか体力が持たないだろうからなかなか勧められないが、金融のバックグラウンドがあるなら必ず活かせる。そこから国際機関に転籍したければすれば良い。コンサルティングファームという選択肢も良い。国際機関では文章作成能力が求められるし、コンサル出身のSTCは文章力を期待できる。実際、このオフィスでもMcKinsey出身のコンサルタントにケーススタディレポートを書かせている。コンサルティングファームは就職に当たってインターンを要求するので、それには参加しておく必要がある。

金融機関出身であるのならぜひCFAを取っておくべきだ。仕事をしていく上で自分のポジションのSecurityが増す。CFAを持ってMorgan Stanleyで働くといったキャリアなら、その後の就業機会を求めるに当たっても強い。CFAは3回試験を受けないといけないが、Level 1は12月にも試験があるし、それに受かったことをレジュメに書けば印象も違うし、残りの試験についてはその後のキャリアの中で受験を重ねて行けば良い。

とのこと。

Short Term Consultantの具体的な雇用スケジュールや給料の話までは知らなかったので、良い勉強になった。給料は割と高いと思ったが、1週間だけの契約だったり次の職の保証がなかったりする場合があるので、それぐらいはもらっておかないと失職したときに厳しいのかもしれない。何にせよ、バイトのような身分であることに変わりはないので、この職種で国際機関に入るには相当の覚悟が必要になる。

少し驚いたのは、忙しく2つのオフィス間を飛び回ってエネルギッシュに働いているこのトルコ人職員が、特にUNDPの仕事をやりたいと思って勤めている訳ではないということだった。政府からの義務がなければ民間企業で働きたいとまで思っているとは全く想像していなかった。収入や自分のバックグラウンドを活かせる仕事の選択を考えると、UNDPの仕事が必ずしも本人のベストチョイスにならないことが、話を聞いて理解できた。

CFAに対する印象は、やはりそうかというものだった。日本ではあまり知られていないが、CFAの価値は金融業界で広く認められていて、保持しているビジネスマンは必ず名刺やメールの署名の後に", CFA"と書いている。CFAはアメリカの資格だが、同国では司法試験や公認会計士(USCPA)の難度が低いため、それらやPh.Dと同等程度に扱われている印象がある。自分はUSCPAとCFAのどちらに焦点を当てて勉強していくか迷ったのだが、金銭面と取得までに要する時間を考慮してUSCPAを先に取ることにした。優先順位をUSCPAと迷ったくらいなので、もちろんCFAも視野に入れてはいて、USCPA取得後はCFAの勉強を始めようと思っている。ただ、こちらは3年かかるので、順調に行ったとしても、取得し終える頃にはかなり年を食っていることになる。
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今朝6時前にアジア開発銀行(Asian Development Bank, ADB)から電話があった。あまりにも朝早かったので目覚ましと勘違いして一度切ってしまった。その後2度着信を受けたのだが、番号が+63始まりでどこの国か分からず、先週Alitalia航空から受けた航空便変更の可能性に関する通知かもしれないと思ったので、無視しておいた。Alitalia航空の復路便はスケジュールの変更から乗り捨てる予定になっていて、特に気にする必要がなかったのだ。目が冴えてきた頃に+63の国番号がどこのものかウェブで確認してみたところ、フィリピンとなっていたので慌てた。自分の番号を知っているフィリピンの組織と言えば、春学期中にインターンの応募をしたADBしかない。

大事な電話をミスしてしまい、慌てると同時に向こうの時間都合だけで電話してくる相手方を恨んだ。連絡先住所として記載したアメリカ東海岸だって、電話を受けた時刻は午後11時だ。電話が不在だった場合はメールを送ってくるかもしれないと思い、ホステルのWiFi経由でGmailに接続してみたのだが、そこにはやはりインターンに関するメールが入っていた。内容は、ADBのあるサマーインターンのポジションについてショートリストに残ったので、6月から7月までの8週間の都合を教えてほしいというものだった。今日は5月23日。6月から7月までの8週間の予定が今の時点で決まっていないことの方がおかしいので、夏休み中最低限インターンに参加できる8月以降のスケジュールを書いて返しておいた。

ADBのこのスケジュール感覚はすごい。この1週間でインタビューをしてマニラに来させ、早速働かせるというつもりでいて、学生がまだインターンの予定を決めずフリーの状態でいると思っているのだろうか。仮にフリーの学生がいたとしても、数はかなり限られていると思う。フレッチャーのインターン内定率も2010年は80%を超えていて、残り20%のうちの多くは社費派遣であったり修士論文リサーチのためにインターンに参加しないという明確な理由を持っている。この状況で即インターンに参加できると表明できる学生がいるとしたら、既に得ている他のインターン機会を断るしか手がないのではないだろうか。

このショートノーティスでもインターンに参加してしまう人がいれば仕方ないが、自分が提示した期間でもインタビュープロセスに乗せてくれるのであれば、喜んで受けたい。あまりにも長い間音沙汰がなかった応募先から急遽選考に残った通知を受けられたことは、予想していなかっただけにとても嬉しいので、できるだけ前向きに話をしてみたい。スケジュールの点だけは変え難いが、それは他の候補者にとっても同じ条件なので、ADB側がスケジュールで妥協してくることを祈っている。
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週末は金曜日に書店で買った"Turkey: A Modern History"を読んで過ごした。英語なので理解も遅いし、読んで記憶に残る部分は日本語に比べてとても少ないのだが、インターン期間中に読み切っておきたいのでスケジュールを優先して一定のスピードで読んだ。合計500ページ程度の本で巻末の注釈等を除くと300ページ強なのだが、歴史の本ということで文章が若干堅く、文章の意味を追うのにある程度時間がかかって苦労する。それでも週末のうちに3部構成のうちの第1部(90ページ)は読んでおきたかったので、一度ページを開いたら10ページ以上は読むようにした。

第1部は18世紀末のオスマントルコ帝国の衰退からクリミア戦争等周辺国の戦争が集結する19世紀末までで構成されていた。黒海を挟んでのロシアとの勢力争いや、バルカン半島諸国、ギリシャとの戦争等、大陸に所在する国ならではの葛藤が100年程度の短い期間の間に行われていて、内容がとてもダイナミックに感じられた。日本は近代以降周辺諸国との戦争によって世界史に登場する頻度も増えるが、トルコほど常に外国からの脅威にさらされている訳ではない。トルコの内政もオーストリア、プロシア、フランス、ロシア等、各時期における強国の脅威を常に意識しながら動いていて、政策も外交、医学、教育、軍事等に対し、自国の存亡に関わる強い危機意識を持って行われていたことが伺える。

西洋の近代史におけるトルコという視点で歴史を見ることはとても興味深い。通常はイギリス、フランス、ドイツ等の西欧諸国中心に歴史が語られるので、自分が日本で学んだ世界史もその範疇で記憶していることが主だと思う。しかし、ヨーロッパ、中東、アフリカに隣接したこの国の観点から歴史を見ることは、その時々の枢軸国以外の状況がどうだったかを知る上でとても価値あるものだと思う。特にトルコが強国と直接戦争等で関わった際には、近代史の大部分においてメインプレーヤーの相手方として語られるトルコが、どのような需要や危機から戦争に臨むことになったかを理解することができ、意義が大きい。

立地上常に外国の脅威に晒される国の歴史というのは、様々な歴史を経験したとはいえ島国として孤立している日本とは比べ物にならないほどの緊張感を持っている。また、観光でボスポラス海峡を上って黒海へ向かったり、ヨーロッパの最東端としてのイスタンブールで過ごしているという現在の立場が、史実により臨場感を持たせてくれる。第2部以降は第一次大戦から現代までのトルコの歴史に入っていくので、より興味深く読めるのではないかと思う。後200ページ以上もあって大変だが、今週中に第2部を読み切って、来週第3部を読んで読了することにしたい。トルコにいる間でないと臨場感を持って読みづらいし、インターン後はまた別のことで忙しくなるので、インターン期間を区切りとして読み進めたい。
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インターンの2週目が終了した。色々と作業してきて、課題はそれなりに形になってきたが、ディレクターとイスタンブールの現地職員が忙しく、あまりオフィスにいないので、フィードバックを得たり作業の進め方について話し合う時間があまり取れていないのが残念なところ。ディレクターは来週一杯出張でまた出てしまうので、具体的に話をできるのは4週目になりそうだ。それでも一応やることは決まっているので、淡々と作業を進めつつ、確認が必要な点はメールで連絡を取ることになると思う。

一週間の終わりということで、金曜日はオフィスのある旧市街から橋を渡って新市街で出向き、イスタンブールで一番の繁華街になっている通りの書店でトルコに関する歴史の本を買ったり、日本食のレストランに行ったりしてきた。金曜日の夜ということで通りは観光客でかなり混み合っていて、旧市街と全く別のにぎやかな雰囲気になっていた。

書店はRobinson Crusoeという名前で、洋書を多く取り扱っている。雰囲気はイギリスの古書店のようで、トルコ色はあまり強くない。店員は西洋人だったし、本の値札も英ポンド建てで表示してあったので、多分イギリス人が経営しているのだと思う。ここに来たのは同じオフィスでインターンに参加しているトルコ人の学生が勧めてくれたトルコの近現代史に関する本を買うためで、店員にトルコ史に関する本のコーナーを聞いたところ、指示された一角の中に無事該当する本を見つけることができた。本は"Turkey: A Modern History"というトルコの近現代史について扱ったもので、客観的に書かれているので読んでみると良いと勧められた。

トルコ人の学生はイスタンブールの大学を卒業したばかりで、秋からLSE(London School of Economics and Political Science)に進学するまでの時間をUNDPでのインターンに充てている。関心分野は開発よりも国際政治の方にあり、将来はニューヨークの国連本部内にある政治局等で働きたいそうなのだが、トルコにはUNDPを始めとする開発系の部署しかないため、ここでインターンしているとのこと。イスタンブールの大学では国際関係学を専攻していて授業は全て英語だったので、大学院受験に当たって特に英語の支障はなかったそうだ。国際関係学だから全て英語で授業というのはとても理にかなっているが、日本の大学ではICU等一部の大学を除いてそこまでのシステムは作れそうにない。

購入した本は、この学生が学部の授業で指定されて読んだものだそうで、当然英語で書かれているし、内容も外国人向けに客観性を持たせてあるのでお勧めだったらしい。こちらではアメリカでよく使っているAmazon.com経由の購入が不可能なので、何とかトルコにいる間に手に入れたいと思っていたのだが、『地球の歩き方』にこのRobinson Crusoeという書店が掲載されていたので、気持ちに余裕のある金曜日に足を伸ばして行ってきたのだ。さすがにオーソドックスなトルコ史の本だったので、書店に置いてあって良かった。

実はもう1人のインターンからオスマントルコ帝国の歴史に関する本も紹介されていたのだが、残念ながらこちらを見つけることはできなかった。近現代史の本を読み終えるのでこのインターン期間中は精一杯な気がするので、こちらは手に入らなくても仕方がないとは思っている。アメリカに戻った後にまだ読む意欲があれば、Amazon.comで注文して取り寄せることにしたい。

本を購入した後は文花という日本料理のレストランに行った。うどんと野菜の天婦羅を注文したのだが、京風の平たくコシを意識しないタイプのうどんだったので、あまり好きにはなれなかった。それでも日本料理が食べられただけ嬉しかったのだが。インターン期間は後2週間なので、機会があればもう一度行って別の料理も注文してみたいと思う。寿司がメインのようで外国人客は寿司を注文しているのだが、ハンバーグやカレーライス等、日本人のニーズに即したメニューも注文できるので、次回はそういったものを頼んでみたい。

新市街の繁華街
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書店外観
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書店内観
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日曜日はボスポラス海峡クルーズというのに行ってきた。イスタンブールは黒海とマルマラ海をつなぐボスポラス海峡の沿岸に存在していて、船で少し北に上ると黒海にたどり着く。このクルーズはいくつかの港に停泊しながらイスタンブールから90分北へ上り、黒海沿岸の港に向かうという航路になっている。ボスポラス海峡はトルコをヨーロッパ側とアジア側に隔てていて、イスタンブールはトルコ側にあるのだが、終着港はアジア側にあるので、これがトルコに来て初めてのアジア側への到達だった。クルーズ船は1日往復しかしないので乗り遅れないように気をつけないといけないが、一緒にクルーズに乗ってきた乗客皆が狭い場所を行ったり来たりしているので、気づかず乗り遅れるという雰囲気ではなかった。

この日も晴れ渡っていて涼しく、絶好の観光日和だった。宮殿やモスクのようにおかしな客引きもいなかったので、気分よく回ることができた。停泊先の港でもう一度サバサンドを食べたのだが、これは初日に橋のたもとのレストランで食べたものと比べ物にならないくらいおいしかった。何が違うかというと温かさとサバをほぐしてあるかどうかぐらいしかないのだが、その2点は味覚にとってすごく重要なのかもしれない。サバサンドを食べながら、観光客のほとんどが目指す頂上の砦に向かって歩いた。年配の人も結構たくさん登っていたが、かなり息切れして足の筋肉が張るぐらいきつかった。60歳ぐらいの人もいたので、よく登ったものだと思う。

終着港付近のレストラン街
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終着港付近の高台から臨む黒海
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ボスポラス海峡から黒海へ向かうタンカー
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ボスポラス大橋
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今日は土曜日だったので、イスタンブールに来て初めての観光に出かけた。イスタンブールの見どころは主に旧市街にある寺院や宮殿等の歴史的建造物で、今日も外国からの旅行者が多く訪れていた。気持ちよく晴れ渡った絶好の観光日和だったのだが、短時間のうちにいかにも怪しい中高年のトルコ人に2回も絡まれて気分がげんなりしてしまった。面白いことに、2人とも「知り合いが日本にいるので日本人に親しみを覚える。よかったらこの後観光案内してやる。事務所に名刺があるから一緒に行こう。」という同じ台詞を使ってきた。大抵は絨毯屋で、自分の店へ連れて行くための手口らしいのだが、このような卑劣な仕事にもきちんと業務マニュアル的なものがあるらしい。

途上国についていつも思うのだが、外国人相手に非合法な仕事をする人間を政府はきちんと取り締まらないのだろうか。特に観光が主要産業になっているトルコなどは、観光客の安全を確保することが生命線だと思うのだが、特にガードマンや警察官が観光地でパトロールや監視を行っているようには見えない。メーターを使わず言い値で乗せようとするタクシーについても、政府が被害報告に応じて業務停止処分を下すなどすれば一発で直ると思うのだが。後は道徳的な問題として、日本が戦後貧しかった頃もこのような卑劣な商売が行われていたのかということも思う。終戦直後の闇市等では非合法な取引が実際に行われていたのだろうが、現在の多くの途上国ほどあからさまに道理に反した仕事が行われていたかと考えると、どうも違うような気がする。衣食足りて礼節を知るという定理がどの国にも当てはまり、貧しい時期には誰しも罪を働くことに対する抵抗が薄いのか、先進国になり得た日本の国民は貧しい頃から既に道徳的な集団だったのかという点はとても気になる。開発どうこう言う前に、このようなことがまかり通っている限り、途上国は途上国のままであるように思う。

アキュメンファンドノヴォグラッツCEOはアフリカ滞在中に甚大な盗難の被害に遭ったし、マザーハウス山口絵里子社長はバングラデシュで何度もパスポートや財布の盗難に遭ったそうだ。そこまでされて途上国の発展のために尽くそうと思う原動力は何なのだろうか。この2人のことを考えると自分が経験したことぐらいで心が折れてはいけないのだが、自分が尽くそうとしている相手から利己的な仕打ちを受ける中で、仕事に対するモチベーションを維持することはとても難しそうだ。



ブルーモスク
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アヤソフィア博物館内部
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トプカプ宮殿からの海の眺め
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グランバザール(巨大市場)
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インターンの最初の一週間が終了した。今週は大きなカンファレンスが勤務先以外でもたくさんあったそうで、マネージャーとその下にいるトルコ人の職員は外で出ずっぱりだった。お陰であまり自分のタスクに関する話が具体的にできなかったのだが、金曜日の夕方にトルコ人の職員が戻って来たので、最初にマネージャーから簡単に告げられていた自分のタスクについて、初めて具体的な説明を受けることができた。

自分の具体的なタスクは、1. 投融資案件のケーススタディ、 2. 途上国の中小企業(SME)に対するファイナンスを行う際のPre-Feasibility Studyモデルの構築、3. 6月に日本で行われるEnergy Conferenceにおける日本の政府機関との協業可能性の提案の3つ。特に、2と3を中心に仕事をすることになるようだ。

2.に関しては、投資候補先となる途上国の中小企業事業者のブローカーがプロジェクトアイデアをまとめて提案し、それが通った場合に具体的なフィージビリティスタディを行って提案を行うための資料フォーマットを作成することが主な作業になるそうだ。それをブローカーに対する3日間のトレーニングプログラムとして提供したいとのことで、資料を作成した上で、トレーニングのモデルプランを作成することになる。これを2週間で行うとのこと。

3.に関しては、とにかく国際協力銀行(JBIC)、国際協力事業団(JICA)の業務内容をリサーチして、UNDPのGrowing Inclusive Markets(GIM)とのエネルギー分野における協業可能性を探るというものだ。これに関してはマネージャーから初日にブリーフィングを受けた時点で進め方に何となく察しがついたので、この一週間である程度進めておくことができた。他のタスクがまだ進められる状態ではなかったので、今週はこれだけに注力した。ただ、金曜日はインターネットがほとんどつながらないという不測の事態があり、仕方がないのでGIMの当該事業に関するパンフレットを読んでいた。

総合すると、4週間という限られた時間の中でかなり大きな仕事をさせてもらえることになっていると思う。その分求められるアウトプットのハードルも高いだろうが、かなりやりがいがありそうだし、インターンから得られる経験値も高そうだ。少なくとも、Fletcherのインターンシップパネルで去年のUNDPのインターンが言っていた「与えられるタスクが明確でなかったり、あまりためにならない雑用ばかり押し付けられたりするので、取り組みたいことを自己主張していった方が良い。」というアドバイスは、自分のインターンに関しては全く当てはまらなそうで良かった。
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今日は職員2人とインターン1名が外部での会議で出払っていたので、オフィスはとても静かだった。自分は17時までPower Pointで資料作りをして、他の人に急かされる前にと思い、17時頃に退社した。昨日までの2日間はホステルに直帰していたのだが、さすがにそればかりではもったいないと思い始めたので、生活している旧市街から橋を渡って、新市街側にある日本食のレストランに行ってみることにした。

iPhoneの地図機能で検索したところ、レストランは勤務先から徒歩35分ということだったが、電車の乗り継ぎ手段が分からないので歩いて行くことにした。途中まではよかったのだが、ものすごく高い丘の上にあることに途中の坂を見て気づき、歩いてきたことをかなり後悔した。苦しみながらものすごく急な階段を上り、更に坂道を上ってやっとレストランのあるTaksimという地域にたどり着いた。着いてみると、信じられないことにその辺りは旧市街と比べ物にならないほど大きな繁華街になっていた。しかもその辺りだけは丘の上にあるとは思えないフラットな地面になっている。

日本食のレストランは寿司屋の作りだったが、地元の日本人の希望に沿うよう努めているらしく、カレーライスや唐揚げ、うどんというものがメニューに入っていた。もともと寿司を食べたいとは全く思っていなかったので、おすすめマークの付いているカレーライスを注文した。カレーは日本の庶民的な雰囲気のあるチキンカレーで、日本を長く離れてイスタンブールで働いている人が懐かしく感じそうだった。それにしてもこの土地で敢えて料理店を開こうという日本人と働こうとする日本人がいることに驚く。

レストランを出た後は、アメリカで切り損ねた髪を切るために通りがかった散髪屋へ入り、髪を切ってもらった。15トルコリラだったので、750円ぐらい(1トルコリラ=約50円)だ。アメリカで10ドルの散髪屋へ通うようになってから、店の質や雰囲気には全く拘らなくなった。日本からトルコへ来て初めて髪を切るとなったらかなり心配したと思うが、アメリカでワンクッション置かれている分気が楽だった。この調子ならもっと途上国の理髪店でも行けてしまうかもしれない。ただ、女の人の場合は希望通りの店を途上国で見つけるのが難しいかもしれない。国連等で働いている途上国在住の女の人はどうしているのだろう。

帰りはさすがに歩いて帰るのがきつかったので、日本料理店の人に聞いたルートで地下鉄とストリートカーを乗り継いでホステルへ戻った。電車を使うと信じられないくらいスムーズに戻ることができた。きつい勾配の中を進むため、地下鉄はケーブルカーのように斜めを向いた作りになっていた。ストリートカーは2分置きぐらいの頻度で来るのでかなりつかまえやすい。どちらも列車や駅の作りが新しく、チケットもトークンを使って乗る近代的なシステムだったので、多分どこかの先進国のODAで導入されたのだと思う。
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