カテゴリ:課外活動( 21 )

先週金曜日にバングラデシュのグラミン銀行創設者、ムハマド・ユヌスの講演会がタフツ大学の講堂で行われたので、聴きに行ってきた。講演内容はノーベル平和賞を受賞した頃に執筆された自伝をカバーしたもので、目新しいものではなかったが、本人が直接話しているのを聴くと、より説得力があるように感じられた。一方で、講演内容がグラミン銀行創設の理由や人間の能力開発に関する信念など、2006年のノーベル平和賞受賞時とさほど変わらない内容であったことが少し残念に感じられた。下記は講演録とその感想。

貧困からの脱却
ある職業を得て生活するために必要な能力が備わっていても、途上国ではその職業に就けないことがある。例えば、将来医師になりたいという勉学に秀でた少女がいたとしても、家族に教育を受けさせるだけの財力がない場合、それを叶えることはできない。これは家族が悪いのではなく、貧困と、貧困を作り出す社会が悪い。人間に本来備わった生きる力は相当なものであるにも関わらず、それを社会が貧困を作り出すことによって封じ込めてしまっている。人間が本来の能力を発揮できるよう、社会から貧困を除去することが私の使命であると考え、これまで取り組んできた。

ソーシャルビジネスの概念
私はソーシャルビジネスという概念を提唱している。ソーシャルビジネスは、自分が利益を得るだけでなく、ビジネスを通じて便益を享受する側に十分な便益が生じることを前提としている。仮にビジネスが売買が成立したとしても、売り手側のみが利益を得る取引は、単なる搾取に過ぎない。売り手が利益を得ることは必要であるが、買い手側においても取引の対価としての便益が正当に生じることが必要である。売り手、買い手双方の便益が担保されることにより、社会が最も有益な形で発展する。この形態が成り立つことがソーシャルビジネスを定義する上での前提となる。

感想
グラミン銀行が脚光を浴びて以来、バングラデシュをはじめとする南アジア諸国ではマイクロファイナンスを実施する機関が乱立し、供給過多となっているようだ。また、貧困層に小口の融資を行うというビジネスモデルの性質上、融資コストは高く、各マイクロファイナンス機関は平均で年率20%程度の金利を課している。マイクロファイナンスの供給者の増加や過去の融資回収データの充実により市場が効率化すれば、金利はよりリーズナブルな水準に低減されるべきだが、現状の金利水準は高止まりしたまま推移している。

恐らく毎年膨大な数の場所で行われているムハマド・ユヌスの講演内容は、ノーベル平和賞受賞時の5年前からあまり進化していないように感じられる。現在は、マイクロファイナンスの台頭により生じた新たな課題を解決し、貸し手にとっても借り手にとっても必要十分な金融市場を作るための施策について、ムハマド・ユヌス自身が提言を行っていくフェーズに移っている。多くの人々がマイクロファイナンスやグラミン銀行、ムハマド・ユヌス自身のビジネス哲学について理解を深めている現在では、自身の経験や哲学に関する説明に加えて、現状のマイクロファイナンスが抱える問題とその解決策に関する指針を詳しく説明することが求められていると感じた。
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今日は学外の人とNBA、Boston Celticsのゲームを観に行った。Celticsはボストンに来る前から好きで、2007-08シーズンに全米チャンピオンになったときのDVDを何度も観ていた。その後段々と成績が落ちて来て、今シーズンは負け越しとかなり悪いスタートを切っているのだが、対戦相手がOklahoma City Thunderというあまり強くないチームということで、勝てると期待してチケットを取った。

ゲームが行われるTD Gardenというホームスタジアムは、地下鉄Green LineのNorth Stationという駅の上にある。ボストンから若干離れた田舎と言えば田舎という場所にある自分の家は、Commuter Railという近・中距離列車で1駅という距離にある。North Stationは長距離列車の発着も行われる大きな駅舎を地下鉄の駅とは別に持っていて、メインの待合所は、ドーム型のとても大きい造りになっている。このスタジアムはBoston Bruinsという2010-11シーズンで全米チャンピオンになったNHLのチームが一緒に使っていて、アイスホッケーの試合があるときはバスケットボールの床が畳まれてアイスリンクになる。一体どうやってその作業をやっているのかが驚きだ。

試合の方はそれなりに観客も入っていて、優勝時のレギュラーが4人スタメンで出ているというベストメンバーの状態だったので、かなり盛り上がった。また、優勝時のレギュラーのうち唯一移籍したセンターのKendrik Perkinsという選手がOklahoma City Thunderのスタメンとして出ていたので、運良く優勝時のレギュラーメンバー全員を見ることができた。試合そのものは前半の途中から一方的にリードされていて、第4クォーターの途中に少し追いついたところですぐにまた離されるという面白くない展開だった。最後に追いつきそうになったときは会場がとても盛り上がったのだが、また離されてしまい、残り時間と点差から逆転勝ちがないと分かると、観客は試合中に冷やかに帰って行った。最後のブザーが鳴る頃には、観客はほとんど残っていなかった。

安チケットながら、せっかく初めてCelticsの試合を観に行ったので、勝てなかったのは残念だった。優勝時とほとんど同じメンバーなだけに、今シーズンあまり勝てていないのが余計に残念だ。早く調子を取り戻してプレーオフで善戦できるだけのチームに戻ってほしい。帰りはたまたまCommuter Railの下り列車が良いタイミングで来ていたので、それに乗ってWest Medfordという駅で降り、そこから歩いて家に帰った。列車が着く頃には途中から降り出した雪が深く降り積もっていて、負け試合を観た寂しさと寒さで何だかやりきれない気持ちだった。

試合前のTD Garden
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MBTA Commuter Rail: West Medford駅ホーム
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今日はBSOの公演を聴きに行った。今回の公演は、ハイドンの『交響曲第90番』、Turnageという現役作曲家の『トランペット協奏曲』、リヒャルト・ストラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の3本。の本来土曜日の公演はCollege Cardではあまり手に入らないのだが、冬休みで学生がボストンから離れているからか、配布開始日当日の夕方でもチケットが余っていた。土曜日の公演は、リハーサルと木、金曜日の2回の公演を経た4回目になるので、オーケストラの習熟度的にも一番良いと思う。

座ったのは学生用の安い席で、前から3列目だったので、指揮者の表情や動きが間近で見られてとても良かった。席から近い楽器の音が目立ち、音全体を聴くのが難しいというのが、College Card保有者にオーケストラ近くの席を提供する理由なのだろうが、自分はこちらの方が臨場感を感じられて良い。指揮者や演奏者がどのように曲を進めて行くのかも分かり、とても勉強になる。

今回の指揮者はMarcelo Lehningerというブラジル人で、BSOのAssistant Conductorというポジションにいる若手。本来は客演でヨーロッパから著名な指揮者を呼ぶ週だったのだが、予定していた指揮者が子供の誕生を理由に公演をキャンセルしたため、急遽この指揮者が振ることになった。若手にはこういう不測の事態が大きなチャンスになるのだろう。自分は誰の指揮がどうというのがあいにく分からないのだが、全身で情熱的にオーケストラをマネージしていて良かったと思う。クラシックは年を取るほど熟練して評価されるという風潮があると思うが、曲によっては若い指揮者がダイナミックに指揮する方が良い仕上がりになるのではないかと思った。

ハイドン『交響曲第90番』(Symphony No.90 in C, Joseph Haydn)
交響曲なので第4楽章まであるのだが、15-20分程度の演奏時間で退屈せずに聴けた。自分は音が分からないのでドレミそのものから和音まで印象で聴くことしかできないのだが、音色がとてもきれいで曲全体の統制が取れていて、とても良かった。指揮者が替わるとどこまで曲が変わるのかは分からないが、今回の指揮者は曲の節目のインパクトが明確に付くよう指示を出していたように思う。第二バイオリンが次の旋律の入りの前に静かな音楽を奏でているとき、指揮者が手を前に組んでじーっとそちらを見て、次の旋律の入りのところでまたダイナミックに振り始めるという動作が印象的だった。指揮棒を振らずに流す時間があるというのが面白い。

マーク=アンソニー・タネジ『トランペット協奏曲 "Wreckage"より』("From the Wreckage", Concerto for trumpet and orchestra, Mark-Anthony Turnage)
現役の作曲者によって2005年に作曲されたトランペット協奏曲。ノータイで現代的なコートを着たファッショナブルなトランペット奏者が2本のトランペットを持って現れ、演奏した。曲は確かに2005年作曲という感じの現代的な作りで、SF映画のバックミュージックのようだった。ハイドンの後にこれが来ると、あまりの違いに同じ楽器群が出している音とは思えない印象になる。こういう曲は悪くないのだが、敢えてオーケストラ編成でやらなくてもいいんじゃないかと思った。せっかくバイオリン隊がいるのにほとんど弦を弾かせているだけだったり、打楽器に音を頼り過ぎているところなどもあって、もったいない。一度聴いたことのある佐村河内守という日本の作曲家の『交響曲第1番』という曲と同じ印象を持った。こちらもバイオリンにはあまり仕事をさせず、鐘の音を多用する。馴染みのない曲だからか、この曲のときに指揮者は眼鏡を掛けて登場し、楽譜をつぶさに見ながら指揮していた。ハイドンの曲などは、やはり何度も聴いたり振ったりして覚えているようだ。残念だったのは、曲の最後の方に第二バイオリンの4列目辺りにいたおばちゃん奏者が咳をし始め、自分の演奏をやめただけでなく、咳の音を会場に響き渡させたことだ。これで一気に興ざめした。このおばちゃんが演奏をやめても曲に問題がないのなら、このおばちゃんの存在意義は?と思ってしまう。咳をし始めたタイミングも、後半の静かに終わりに近づく部分だったので、余計に目立った。演奏終了後は作曲家のTurnage自身が舞台に挨拶しに来ていたので余計に気まずい。演奏が終わった後は、横にいた若い中国系のお姉ちゃんが自分の喉を指しながら何やらアドバイスをしていたが、前後にいたおっちゃん達は我慢ならなかったらしく、厳しい表情でおばちゃんをたしなめている様子だった。この事件は近くにいたからこそ見えてしまった残念な出来事だった。遠くで見ていて知らずに過ごせれば良かったかもしれない。休憩中にスタッフのパネルが飾ってあるコーナーに行くと、そのおばちゃんの顔写真を指差してなじっているおばちゃんがいた。気持ちは分からなくない。

リヒャルト・ストラウス『ツァラツストラはかく語りき』("Also sprach Zarathustra", Richard Strauss)
哲学者ニーチェによる同名の著作について書かれた交響詩。この曲の導入部は『2001年宇宙の旅』のテーマとして使われているそうで、確かに耳慣れた旋律だった。前の曲をSFだなと感じたこともあって、またSFかという感情が曲と関係ないところで出てしまった。作曲者はSFなんて全く意識せずに書いたのに、申し訳ない。映画は観たことがないのだが、映画を契機としてテレビ番組や店のバックミュージック等でよく使われているのだと思う。この曲は、SF的イメージが付いて回ってしまっていることと、ニーチェの著作を読んだことがないという決定的な理由によって、曲を純粋に聴くことが無理そうだと感じた。曲は著作に示される思想全体を体現したものではなく、ストラウスが感動した部分を断片的に取り上げたものらしいので、読んでいないと余計に理解が難しい。一度竹田青嗣の『ニーチェ入門』という本を読んだことがあるので、ニーチェの考えが何となくは分かるのだが、音に表されてしまうとお手上げだ。

そういう訳で、今回はハイドンの交響曲第90番が一番気に入った。後の2曲は自分には理解できなかった。特に2曲目のトランペット協奏曲については、高齢の聴衆がメインのBSOの客層にはあまり理解されなかったのではないか。おじいさんおばあさんはきっと面食らったと思う。Turnage自身が登場したときも、皆申し訳程度に立ち上がって拍手している感じだった。心から感動したというよりはようこそボストンまでおいで下さいましたという、社交辞令としてのスタンディングオベーションという印象が強かった。ツァラツストラについては、今後の人生の中で時間があるときに、著作と音楽をじっくり比べてみたい。かなり後になってしまうとは思うが。

BSO入り口
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BSO看板
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BSOステージ(開演前)
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11月18日(金)13:00-17:00のスケジュールで、Japan Roundtable 2011というFletcher日本人会主催のフォーラムを行った。テーマは震災後の日本におけるエネルギー・原子力政策と経済復興で、Fletcher内外の講演者に来てい頂き、プレゼンテーションとパネルディスカッションを実施した。プレゼンテーションもパネルも好評で、参加者は皆それぞれに気に入ったプレゼンテーションについて言及しながら「良い内容だった。」と言っていた。人によって気に入った講演者が異なったので、オールスター的なラインアップで講演者に恵まれたのだと思う。

残念だったのは、フォーラムへの参加人数。Fletcher日本人会のスタッフを除いて118名の登録があったのだが、実際に来たのは58名で、出席率は49.6%だった。4時間あるフォーラムの中でずっと在席してくれる人は少ないため、講演途中にスポットでカウントすると40名程度だったそうだ。内容が良かっただけに、あまり人を集められなかったのはとても悔いが残る。登録者数、参加率ともに目標を下回ったので、広報活動をもっと充実させないといけないと感じた。広報と言っても、大事なのはFlyerの数や宣伝メールの頻度ではなく、いかに直接候補者を口説いて来てもらうように仕向けるかだと思う。実際、直接話をしたり、授業の最後にフォーラムの説明をした12名規模のクラスの学生達は約束通り来てくれた。一方で大教室での宣伝やメールでの通知に対する反応はあまり芳しくなかったので、フワッと投げて告知するだけでは不十分なのだと思う。

反省点の残るフォーラムではあったが、運営そのものはとても勉強になった。Flethcerの2年生は現在4名しかいないので、協力しながら仕事をしたのだが、その中で官庁や民間のバックグラウンドを持っている人達の仕事の進め方に関する特性等も分かり、とても興味深く思った。4人という人数にも関わらず2年生同士で一緒に物事に取り組む機会がこれまでなかったので、フォーラム運営の機会を持てたことは良い思い出にもなった。フォーラムを準備する中で相手に対して不満を持つことは誰と仕事をしても常々あるが、もう金曜日で終わったので、その辺りのことはきれいさっぱり忘れることにしたい。

ASIA NightからJapan Roundtable 2011まで、今学期はかなりの時間を課外活動に割く結果になった。今は自分自身にとってとても大きな山場を迎えているので、課外活動が一段落した今日からはそちらに注力していきたい。実はその山場はとてつもなく大きく、一方で長い間ずっと乗り越えたいと熱望していたものだ。ASIA Nightやフォーラムに注いだエネルギーを一気にそちらに向け、悔いの残らないよう全力で取り組みたい。今回は1人で回すには大きすぎる案件なので、自分自身の話である一方で周囲の人達の力も借りながら進めている。そのときの皆さんの対応があまりに真摯で温かいので、とても感動的な気持ちにさせられる。恩に報いるためにも懸命にぶつかりたい。

"Here are two important questions. Do I really want it? And what can I do? So we get it."
James Posey, Boston Celtics
In a huddle before the game versus Los Angeles Lakers, NBA Finals 2008
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ミッドタームが長引く中でかなりブログの更新を休んでいた。その間に書きたいことは色々と起きたのだが、書かないまま通り過ぎていった。しかしながら、掲題の件だけは書き留めておかない訳にはいかないので、きちんと書いておくことにしたい。この面談は作家の大江健三郎氏がTuftsで講演をする予定がある中で、当日夕方の講演時間までの間を利用した昼食会を日本語学科の先生が企画し、Tufts大学内の日本人/日本関係者に声をかけてくれたもの。自分は去年、日本語学科の授業の学生が課題のインタビューを受けていたので、その縁でメンバーに入れてもらった。昼食会で伺った内容は下記の通り。学生の側から質問を行い、大江氏がそれぞれについて10-20分程度話をするという流れだった。話の内容がとても知的である一方で、ご本人は冗談交じりに話をされるとても気さくな方だった。1時間半程度話を聴いていたのだが、全く飽きることがなかった。とても貴重な体験をさせてもらった。

1. 作品の着想と、それを通じて体現する思想の関係(どちらを目的として作品を書くのか)
私は思想を体現するために小説を書いているつもりはない。むしろ、自分が重要だと考えているのは文章をElaborateするところにある。最近New York TimesでElaborateという単語をある政治家の説明ぶりに対する批判として使っている記事があったが、自分の考えるElaborateとはもちろんポジティブな意味での推敲である。思想は自分が伝えたいと考えてElaborateする文章を表現するためのスタイルに過ぎない。スタイルとは○○先生のシャツの着方がおしゃれなように、作品を読者にどう見せるかということ。

2. 日本語の定義の重要性
日本語を正しく定義することはとても重要。「あはれ」と「かなし」の違いで言えば、あはれは相手に対する同情を示し、相手と自分との関係が繋がっている状態を表すのに対し、かなしは悲しだけでなく愛しと書くことからも分かるとおり、自分が愛情を持つ相手との関係が死等において断絶した状態を示す。某女流作家が『源氏物語』の邦訳版を書いたが、内容がひどい。例えば、「ものがなし」という言葉は現在では何となくかなしと使われているが、古語で言う「もの」とは物質として存在するという意味で、「ものがなし」とは物質として表されるほどに悲しいということ。某女流作家は光源氏が紫上と結婚した後初めて3日間家に帰ってこなかったという場面で「何となく悲しい気がした。」と書いたが、大変な誤り。結婚相手が3日間帰ってこない女の気持ちを何となく悲しいと平気で書ける人の気が知れない。

3. 文学としての日本語
最近の日本語の乱れについては問題だと感じている。日本語には日常で使用する日本語と文学で使用する日本語の2種類あると考えている。日常で使う日本語は意味さえ伝われば良いが、文学としての日本語は明確な定義とともに使用されねばならず、質が守られねばならない。日常の日本語がどうであれ、いざ若い人が手紙を誰かに書こうとしたときにきちんとした文章が書けないようでは、現在の日本語教育が正しいとは言えない。

4. 部外者に対する意識(『万延元年のフットボール』に登場する在日朝鮮人について)
私は部外者を拒絶する意識を持っているわけではない。『万延元年のフットボール』で「スーパーマーケットの天皇」という在日朝鮮人について書いたが、それは自分が部外者を拒絶するメンタリティを持っているからではない。本来の意図は在日朝鮮人という部外者によって村のコミュニティが二重三重に没落していく様を明確に書くためで、それ以上の意図はない。ちなみにモデルは私の地元に実在する。

作家が日本語の文法や表現方法に通じていることは当然ではあるのだが、ここまで精緻に日本語を捉えて扱っているとは思わなかった。プロの文筆家の中でも一流の人のレベルというのはここまでのものなのかと思い知らされた。ちなみに大江氏は現在76才とのことで、その年でここまで語れるのも驚きだ。専門職大学院で2年過ごす中で、すっかりプラグマティックな生活に慣れてしまっていたので、文学や日本語について考えたり、それを通じて捉える自分自身の生き方ついて考えるきっかけができて良かった。恥ずかしながらノーベル賞受賞の理由になった『万延元年のフットボール』は読んだことがないので、時間を見つけて読んでおきたいと思う。
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1ヵ月間準備してきたASIA Nightが終わった。システムの不具合があったものの出来は総じて良く、会場の反応もなかなかだったと思う。飽きもせず今年も空手をやったのだが、今回はタレント揃いで、空手、テコンドーの経験者が3人もいて、去年よりレベルの高いパフォーマンスができた。

内容はThe World Karate Tournamentという形でロシア、アイルランド、日本の空手家が世界の頂点を求めて戦うというもので、一応ストーリーが付いている。空手だけでなく、前年のTournamentの内容と、そのときの敗者の今年のTournamentに向けた必死の練習風景をコミカルに映像化して、イントロムービーとして流すなどもした。自分を含む9人中6人のメンバーは空手が全くできないので、できる人3人それぞれに付いて、チーム毎に簡単な型を披露した。

作り上げている当初はASIA Night No.1の出来になると自負していたのだが、韓国人と韓国系アメリカ人、その他外国人が一緒になって演じたK-POPが面白すぎて、勝ったとは言えない結果だった。表彰はないのでどちらが勝っても関係ないし、もしかしたら空手の方が良かったと言ってくれる人が多いのかもしれないが、完成度の点で完全に向こうが勝っていた。空手はすごい3人とその他大勢という構成で、全然練習してこないドイツ人なんかも混ざっていたのだが、K-POPはみんながみんなよく練習してきていて、原曲のPVの映像を背景に一糸乱れぬ動きで踊っていた。悔しいので拍手したくなかったのだが、面白かったのでついつい拍手してしまった。

K-POPのパフォーマンスは本当に良かった。ASIA Nightの後も曲や踊りが強く印象に残っていて、Midterm中に何度もYoutubeでパフォーマンスのビデオを観てしまった。お陰で少し振りと歌を覚えてしまった。日本の演目も、武道系から離れるのであれば、J-POPを真剣にやるといいかもしれない。
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最近は中間試験やレポートに早めに手を付けることもなく、ASIA Nightの出し物の準備に時間を多くの時間を使っている。去年と同じような空手の演目なのだが、皆にまたかと思われるのが嫌なので、今回は映像と音楽のコンビネーションでよりダイナミックに見せられるよう仕掛けを作っている。映像の方はMac内蔵のiMovieというソフトとiPhoneだけを使って撮影から編集までできるので、とても簡単だ。

AppleユーザーはAV系のメリットがあるからという理由で選んでいる人が多いが、こういうときに便利なんだなと実感した。逆に、結婚式二次会等で映像編集を頼める大学や会社の同期等はとても希少で、当人が出席できないから今回は映像なしで演目を決めよう等と考えたりしていたが、こんなに簡単にできるのなら自分だってやってあげられると思った。特権階級的仕事だと思ったらそうでもなかった。

今回の空手の演目は、メンバーという意味でも去年とはかなり違う。去年はFletcherの日本人1年生に課された義務として日本人全体の演目としての空手演武を組んだのだが、今年は2年生になって身動きが自由になったので、他の日本人学生の提案で外国人学生を募って行うことになった。日本人同士でやるものと違い、演武の流れに関するディスカッションが難航したり、時間通りに練習に来ない学生がいるなど、言葉と文化の壁両方に悩まされるのでストレスも多いが、小さくまとまりがちな日本人的アイデアをダイナミックに膨らませてくれるところなどはとても面白い。お陰で映像はとてもアクティブな内容になった。

一点残念だと思いつつ、少し腹も立ったのは、映像にナレーションを加えるときのレコーディングのことだ。自分はバックミュージックを流しつつサイレントで映像と文字を見せれば内容が伝わるように作っていたのだが、外国人学生がどうしてもハリウッド風のナレーションを入れてドラマチックにしたいと言う。じゃあネイティブのうち誰がレコーディングするか決めようと言うと、皆それは断り、日本語のアクセントで老人ぽく話した方が感じが出るから、こちらにやってほしいと言ってくる。

仕方がないのでスクリプトとサンプル音声だけ作ってもらって引き受けたのだが、レコーディングしてみると老人ぽい声が出るどころかかえって若く聴こえる声に仕上がってしまった。他の日本人学生と話したところ、ネイティブの学生に吹き込んでもらったサンプル音声の方が雰囲気が出るのでそちらを使おうという話になったので、ごめんねと断りを入れつつ、1次案としてのファイルにネイティブの学生の音声が入った映像をメンバー8人にメールで共有した。

すると次の日の授業後にサンプル音声を吹き込んでくれた学生が自分を呼び止め、あそこはスクリプト通り文字を映像に載せて、サイレントで行こうと言ってきた。ネイティブ数人はあれほどナレーションを入れたがっていたのに、自分の声が入るとなると途端にそれを覆して元のサイレントで良いと言ってくる。なら自分が恥を忍んで録音した日本語訛りの声が観客250人に聴かされるのは良いのか。主張する割に肝心なところで責任を負えないチームの学生には本当にがっかりした。

ただ、その彼はまだサンプル音声やスクリプトを作ってくれることをしたのでかなり貢献してくれている方ではある。他の学生は審判を付けよう、などアイデアは出しておきながら、審判をやる人間を連れてこようという気はない。最初はできるだけ要望を聞こうと思っていたが、ずっとうだうだ言っているので、最後には「あいつに聴いたけどできないと言うから今回はなしで。」と伝えて終わりにした。「分かった、おれが連れて来るよ。」と言うほどの積極性がないのは分かっていたので、予想通りここで会話が終わった。
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今日月曜日は、BSOのCollege Card保有者に対する週末の公演チケット配布開始日だったので、土曜日の公演のチケットをもらいに1時間かけてGreen LineのSymphonyという駅まで行ってきた。10時から配布開始なのだが、着いたのは13時で、窓口で聞いたときには既に土曜日のチケットが配布終了となっていた。BSOの本拠地であるSymphony Hallは、その名の通りBSOのSymphony Hallが駅を出てすぐの場所にあるのだが、Tuftsが遠すぎて到着までにどうしても時間がかかってしまう。月曜日は10時55分に授業が終わるので、その後少し作業をして12時頃に大学を出たのだが、配布開始から3時間あれば土曜日の公演は簡単になくなってしまうようだ。

仕方なく、いつもかなり余裕のある木曜日のチケットをもらって大学に帰った。木曜日はASIA NightというFletcherのアジア人/アジア系学生の文化祭のようなものの練習があり、Symphony Hallに開始時刻の20時に行くことは無理なので、一応もらっておいて行きたい人にあげてしまうつもりでもらってきた。せっかく行って手ぶらというのももったいないし、タダでチケットがもらえるのなら誰かにあげてしまった方がいい。

失意の中、Symphony Hall近くにある麺亭というラーメン屋で炒飯を食べて帰ってきた。名前とは裏腹に「ラーメンは絶対食べない方が良い。」という触込みが利用者の間であるので、絶対に注文しないようにしている。前回はランチスペシャルという炒飯、餃子、唐揚げのセットを頼んだ。せっかく日系のラーメン屋で店員も日本人か日系アメリカ人ぽいのに、キャラクターは完全にアメリカナイズされていてやる気がない。ここはどうしても日本食が食べたくなったときに静かに訪れ、食べたらさっさと退散するためのガソリンスタンドのような場所だ。日本的な雰囲気な中でリラックスしようなどとは間違っても思ってはいけない。

Symphony Hallから麺亭へ向かう途中でBerklee College of Musicという有名な音楽学校を通った。ここはクラシックよりジャズのようなポップ系の音楽で定評があるのだが、これだけ近い場所にあって音楽に興味のある学生がいれば、間違いなくCollege Cardを使って土曜日のチケットをもらいに行くんじゃないかと思う。少しうらめしい気持ちで通り過ぎつつ、怨念を込めて写真を撮った。Boston Universityも近いので、その辺りの学生に良い日程の公演を根こそぎかっさわれてしまうと、Tufts大生/Fletcher生は全く太刀打ちできない。

麺亭
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Berklee College of Music
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Boston Symphony Orchestra(BSO)の公演に行ってきた。2011-12のシーズンは先週末に始まったのだが、College Cardという25ドル払えば1シーズン見放題のチケットが使えない公演だったので、今回が自分にとってシーズン初の公演だった。木曜日だったことと来週にヨーヨー・マのチェロ協奏曲があることで、客入りはあまり良くなかったが、公演そのものはすごく楽しめた。自分が知らないだけかもしれないが、かなりマイナーな作曲家2人の曲がすごく良かったと思う。

ヨーヨー・マの演奏によるドヴォルザークのチェロ協奏曲とバルトークというとても興味深い公演なのだが、注目度が高くチケットもよく売れているので、信じられないほどお得なこのCollege Cardも使えない。公演前ギリギリになってメーリングリストでCollege Card用の空席が出たりすることはあるので、それを待つことにしたい。とはいえ1席70-90ドル程度でチケットが買えるので、プレミアムの付き過ぎたPartiotsの200ドルのチケットや、ショパンピアノコンクールで優勝したぽっと出のねえちゃんとNew York Philharmonicとのピアノ協奏曲のための93ドルのチケットに比べると、払う価値は相当あるとは思う。

Four Sea Interludes from the opera "Peter Grimes", Benjamin Britten
オペラの曲の一部を切り取ったものなので、背後のストーリーは分からないものの、曲に変化があって楽しかった。途中でハープが入ってきて軽快に音を慣らしたりするので飽きないし、全体のリズムがとても心地よく、聴いていて面白かった。どのようなシーンが背景にあるのかを調べてみたのだが、場面をつなぐ間奏曲とのことだった。Peter GrimesというオペラはBrittenの代表作らしいのだが、Britten自身を知らないぐらいなので、もちろん曲も知らなかった。どのような経緯でこの曲が今回の公演に選ばれたのかは分からないが、とても楽しい曲で好きになった。

Piano Concerto No.3, Serge Prokofiev
この曲は聴いた3曲の中で一番良いと感じたし、観客の反応もものすごかった。ピアノはJean-Efflam Bavouzetというフランス人の演奏だったが、このピアニストの演奏そのものとオーケストラとの合わせ方が素晴らしく、楽章の合間に観客が「ワーォ」というぐらいの出来だった。曲はリズミカルで心地の良いもので、聴いていて楽しいのだが、テンポがある程度早く、ピアノの音の数も多いので、ピアニストの力量が問われそうな内容だと思った。各楽章の終盤やクライマックスのところではかなりテンポが上がってオーケストラと息を合わせるのも難しくなりそうに見えたのだが、奇跡的にきちんと合わせていた。良い盛り上がりを見せて曲が終わった後はお客さんが総立ちになって拍手していた。これは誰が見てもすごい演奏だったと言うと思う。

Symphony No.2, Jean Sibelius
シベリウスの交響曲第2番。シベリウスの交響曲の中で一番有名なものらしいのだが、前半の2曲で満足してしまったのと疲れが出てきたのとで、あまり感動も覚えなかった。最後の方は「まだ第3楽章か」ぐらいにまで思ってしまった。著名なシベリウスの曲の中で一番人気がある交響曲なので、ぜひまた良い状態のときに集中して聴くことにしたい。そうでないと、これほどの無感動で終わるのはもったいない。
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投資銀行でのインターン終了後、実家のある大阪に戻ってきている。18歳まで実家で暮らした後、大学進学と同時に東京へ出て11年暮らしていたので、大人として大阪で暮らした経験はほとんどない。たまに実家に戻ったときも、1泊程度ですぐ田舎のある岡山や香川へ行き、そのまま東京へ帰ったりしていたので、長期滞在した経験がほとんどなかった。今回は2週間使って岡山、香川、大阪で過ごすことになっているので、高校卒業以来最長の大阪滞在期間になる。

2週間もあるので、大阪に戻った際には行きたいと思っていた場所にできるだけ行こうと思っていた。下らない内容もかなり含まれているのだが、自分が生まれてから6ヵ月住んでいた大東市という場所にある家の跡地だったり、万城目学の小説『プリンセス・トヨトミ』に重要な場所として登場する空堀商店街という商店街だったり、在米中に観た大阪出身の芸能人が地元を訪問する番組に登場した南海本線粉浜駅の周辺だったりというもの。『プリンセス・トヨトミ』絡みで大阪城にも行っておきたいと思っていたのだが、こちらは既に何度かランニングのために行って城郭を走っているので、用は足りている。

それぞれの場所は観光名所でも何でもないので、景観は全く期待できないのだが、それでも大阪にいる間に観ておきたいところだったし、大阪にある程度長期間いないと実現できないので、今回の機会に総ざらいしておきたい。

夜の大阪城
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