冬休み2011-12 ⑧

今日はiTunesで『八日目の蝉』という映画を観た。テーマ設定、舞台ともに自分としてとても興味深く、面白かった。映画のあらすじは、家庭のある男を好きになった女が、男と妻の間に生まれた生後間もない女の子を連れ去り、その子を育てながら4年間逃亡するというもの。4年後にその女は逮捕され、子供は両親の元に戻るのだが、子供は本当の両親には懐かず、家族の絆は子供が成人しても尚得られない。そんな中、子供は家庭のある男と付き合い、その男の子供を妊娠する。

テーマ設定は、家庭を持つ男との間に子供を設けるという同じ行動が二世代間で同様に繰り返されるというものになっていて、大江健三郎の『万延元年のフットボール』や中上健次の『千年の愉楽』に見られるような構造主義的背景が敷かれているように思う。物語の中で繰り返される「家庭ある男との関係により妊娠する」事象を普遍的なものと捉え、その中で前世代の母親が誘拐犯の女に対して取った行動(実母は自分の子供を妊娠中、誘拐犯の女が男に頼まれて妊娠中絶したことを「からっぽのがらんどう」と罵る)に抗い、未婚の母という形で子供を産もうとする行為を、象徴的に浮き立たせている。原作の著者である角田光代は構造主義を元に書かれた過去の文学作品を意識しただろうか。していなかったらすいません。

舞台は、誘拐犯の女が子供と一緒に多くの時間を過ごした小豆島を中心に描かれていた。誘拐犯の女と子供が、かくまってもらっていた関西の宗教団体の施設から脱走した後、逮捕されるまでの期間を過ごした場所だ。小豆島は自分の父方の実家がある場所で、子供の頃から夏と冬の年2回訪れているところ。出てくる全ての風景がとても美しく、懐かしかった。あいにく田舎帰りは時期を選べないし、訪れる場所も観光地ではなく亡くなった祖父母の家や親戚の家なので、誘拐犯の女が働いたり、子供に色々なものを見せてあげようと島を巡るシーンがそれぞれにとても新鮮だった。中山千枚田、二十四の瞳映画村、浜辺、誘拐犯の女が働くそうめん工場等、父親の車で通りはしても決してじっくりと見ない場所がじっくりと撮られていて、自分にとってとても貴重だった。

一方、他の人のレビューで「小豆島のシーンが冗長。観光地をやたらと撮影していて、何か裏の力が働いているんじゃないかと思った。」というコメントがあった。小豆島にゆかりのない人にはそう感じるのかも知れない。ただ、誘拐犯の女は、小豆島に到着したときに「これから色んなものを一緒に見よう。」と子供に言っているのであり、それを体現するにはこのぐらいの描写は必要だったのではないかと思う。また、誘拐された子供が妊娠中の自分の子供について「色々なものを見せてあげたい。」と最後に言うのは、小豆島で誘拐犯の女である「疑似の母」から色々なものを見せてもらったという記憶が、自分自身の小豆島往訪を通じて鮮明になったからだ。そういう意味では、小豆島のシーンはこれぐらいの分量があって全く自然だし、ここを端折っては最後に子供が言う台詞に説得力が出ない。

テーマ設定と小豆島という舞台の両方でとても感銘を受けた映画だった。誘拐犯の女を演じた永作博美もすごく良かった。今は日本を離れているので、余計に郷愁をそそられた。誘拐犯ながら母親として子供に接している難しい立場だったが、子供への愛情が本当の母親のように良く表れていた。ぜひ、2012年の日本アカデミー賞で主演女優賞を取ってほしい。最近は若いときほどテレビも見なくなったし、何よりしばらく日本にいないので、「好きな芸能人は?」等という、あまり親しくない者同士が会話の時間を埋めるための適当な質問にも対応できなくなっていたのだが、今後は永作博美と言おうかと思う。
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