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Boston Symphony Orchestra (BSO) ⑤

今日はBSOの公演を聴きに行った。今回の公演は、ハイドンの『交響曲第90番』、Turnageという現役作曲家の『トランペット協奏曲』、リヒャルト・ストラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の3本。の本来土曜日の公演はCollege Cardではあまり手に入らないのだが、冬休みで学生がボストンから離れているからか、配布開始日当日の夕方でもチケットが余っていた。土曜日の公演は、リハーサルと木、金曜日の2回の公演を経た4回目になるので、オーケストラの習熟度的にも一番良いと思う。

座ったのは学生用の安い席で、前から3列目だったので、指揮者の表情や動きが間近で見られてとても良かった。席から近い楽器の音が目立ち、音全体を聴くのが難しいというのが、College Card保有者にオーケストラ近くの席を提供する理由なのだろうが、自分はこちらの方が臨場感を感じられて良い。指揮者や演奏者がどのように曲を進めて行くのかも分かり、とても勉強になる。

今回の指揮者はMarcelo Lehningerというブラジル人で、BSOのAssistant Conductorというポジションにいる若手。本来は客演でヨーロッパから著名な指揮者を呼ぶ週だったのだが、予定していた指揮者が子供の誕生を理由に公演をキャンセルしたため、急遽この指揮者が振ることになった。若手にはこういう不測の事態が大きなチャンスになるのだろう。自分は誰の指揮がどうというのがあいにく分からないのだが、全身で情熱的にオーケストラをマネージしていて良かったと思う。クラシックは年を取るほど熟練して評価されるという風潮があると思うが、曲によっては若い指揮者がダイナミックに指揮する方が良い仕上がりになるのではないかと思った。

ハイドン『交響曲第90番』(Symphony No.90 in C, Joseph Haydn)
交響曲なので第4楽章まであるのだが、15-20分程度の演奏時間で退屈せずに聴けた。自分は音が分からないのでドレミそのものから和音まで印象で聴くことしかできないのだが、音色がとてもきれいで曲全体の統制が取れていて、とても良かった。指揮者が替わるとどこまで曲が変わるのかは分からないが、今回の指揮者は曲の節目のインパクトが明確に付くよう指示を出していたように思う。第二バイオリンが次の旋律の入りの前に静かな音楽を奏でているとき、指揮者が手を前に組んでじーっとそちらを見て、次の旋律の入りのところでまたダイナミックに振り始めるという動作が印象的だった。指揮棒を振らずに流す時間があるというのが面白い。

マーク=アンソニー・タネジ『トランペット協奏曲 "Wreckage"より』("From the Wreckage", Concerto for trumpet and orchestra, Mark-Anthony Turnage)
現役の作曲者によって2005年に作曲されたトランペット協奏曲。ノータイで現代的なコートを着たファッショナブルなトランペット奏者が2本のトランペットを持って現れ、演奏した。曲は確かに2005年作曲という感じの現代的な作りで、SF映画のバックミュージックのようだった。ハイドンの後にこれが来ると、あまりの違いに同じ楽器群が出している音とは思えない印象になる。こういう曲は悪くないのだが、敢えてオーケストラ編成でやらなくてもいいんじゃないかと思った。せっかくバイオリン隊がいるのにほとんど弦を弾かせているだけだったり、打楽器に音を頼り過ぎているところなどもあって、もったいない。一度聴いたことのある佐村河内守という日本の作曲家の『交響曲第1番』という曲と同じ印象を持った。こちらもバイオリンにはあまり仕事をさせず、鐘の音を多用する。馴染みのない曲だからか、この曲のときに指揮者は眼鏡を掛けて登場し、楽譜をつぶさに見ながら指揮していた。ハイドンの曲などは、やはり何度も聴いたり振ったりして覚えているようだ。残念だったのは、曲の最後の方に第二バイオリンの4列目辺りにいたおばちゃん奏者が咳をし始め、自分の演奏をやめただけでなく、咳の音を会場に響き渡させたことだ。これで一気に興ざめした。このおばちゃんが演奏をやめても曲に問題がないのなら、このおばちゃんの存在意義は?と思ってしまう。咳をし始めたタイミングも、後半の静かに終わりに近づく部分だったので、余計に目立った。演奏終了後は作曲家のTurnage自身が舞台に挨拶しに来ていたので余計に気まずい。演奏が終わった後は、横にいた若い中国系のお姉ちゃんが自分の喉を指しながら何やらアドバイスをしていたが、前後にいたおっちゃん達は我慢ならなかったらしく、厳しい表情でおばちゃんをたしなめている様子だった。この事件は近くにいたからこそ見えてしまった残念な出来事だった。遠くで見ていて知らずに過ごせれば良かったかもしれない。休憩中にスタッフのパネルが飾ってあるコーナーに行くと、そのおばちゃんの顔写真を指差してなじっているおばちゃんがいた。気持ちは分からなくない。

リヒャルト・ストラウス『ツァラツストラはかく語りき』("Also sprach Zarathustra", Richard Strauss)
哲学者ニーチェによる同名の著作について書かれた交響詩。この曲の導入部は『2001年宇宙の旅』のテーマとして使われているそうで、確かに耳慣れた旋律だった。前の曲をSFだなと感じたこともあって、またSFかという感情が曲と関係ないところで出てしまった。作曲者はSFなんて全く意識せずに書いたのに、申し訳ない。映画は観たことがないのだが、映画を契機としてテレビ番組や店のバックミュージック等でよく使われているのだと思う。この曲は、SF的イメージが付いて回ってしまっていることと、ニーチェの著作を読んだことがないという決定的な理由によって、曲を純粋に聴くことが無理そうだと感じた。曲は著作に示される思想全体を体現したものではなく、ストラウスが感動した部分を断片的に取り上げたものらしいので、読んでいないと余計に理解が難しい。一度竹田青嗣の『ニーチェ入門』という本を読んだことがあるので、ニーチェの考えが何となくは分かるのだが、音に表されてしまうとお手上げだ。

そういう訳で、今回はハイドンの交響曲第90番が一番気に入った。後の2曲は自分には理解できなかった。特に2曲目のトランペット協奏曲については、高齢の聴衆がメインのBSOの客層にはあまり理解されなかったのではないか。おじいさんおばあさんはきっと面食らったと思う。Turnage自身が登場したときも、皆申し訳程度に立ち上がって拍手している感じだった。心から感動したというよりはようこそボストンまでおいで下さいましたという、社交辞令としてのスタンディングオベーションという印象が強かった。ツァラツストラについては、今後の人生の中で時間があるときに、著作と音楽をじっくり比べてみたい。かなり後になってしまうとは思うが。

BSO入り口
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BSO看板
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BSOステージ(開演前)
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