人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ホームレスに関する雑考

1月4日に行ったニューヨークフィルハーモニックのコンサートの日に感じたホームレスに対する自分の振る舞い方、態度の取り方について、少し考えることがあったので書いておきたい。自分は立派な慈善心を持ちたいという意識は毛頭ないし、ホームレスを蔑んで自分の心の糧にしたいというような歪んだ気持ちを持っている訳でもない。ただ、日本よりもホームレスという存在が自分の生活に近い場所にいる中で、そうした人達を自分がどう認識するべきなのか分かりかねているので、印象に残った事例について記述し、少し考察したいのだ。

コンサート当日は、ニューヨークフィルが活動しているAvery Fisher Hallというところに開演時間よりもかなり早く着き、予約したチケットの受け取りも済ませたので、時間を潰すためにホールのロビーにあるカフェスペースにコーヒーを買って入った。カフェは店員が席へ案内スタイルではないので、誰でも、何も買わなくても入ることができる。それ故ホームレスが入って居眠りしている場所もあった。自分は席を探そうと歩いてみたのだが、早い時間からかなり混んでいて、浮浪者の横以外席を見つけることができなかった。さすがに抵抗はあったのだが、右隣の人達はスペースを空けつつも浮浪者の隣に席を取っていたので、勢いで座ることにした。

開演までは2時間程度あったので、着いた席で本を読んでいたのだが、ホームレスの臭いで途中からその場にいるのが辛くなってきた。一方で左隣の中年女性グループに待ち合わせた友達が合流する度に場所を広げてくるので、いよいよホームレスと自分との距離が近くなり、臭いは最高潮に達した。こういうときに席を立つと、ホームレスから逃げたような気がして嫌だったので、開演30分前までは我慢してそこに座り、その後席を立った。席を立った後2階へ上がる階段からその席を見ると、自分の隣にいた中年女性グループもあっさり退散していた。自分という盾がなくなって耐えられなくなったのだろう。さっきまで自分の側へ厚かましく場所を広げてきたくせに、と思った。「オバタリアン」という言葉は死語だと思うが、中年女性の横柄ぶりは世界共通だと思った。

それにしても、こういう場面でホームレスに対しどう振る舞うのが適切なのか。臭いや、それ以上に重要な身の危険から自分の身を守るために相手から遠ざかるというのは何ら道徳に反することではないし、必然的なことだと思う。そういう意味で、この人は臭いし汚いから近寄らないでおこうというのは自然発生的な感覚で、それ自体倫理に反するものではないはずだ。では何故「自分が席を立ったら負けな気がする」と思ったのだろうか。相手は寝ているホームレスで、自分の周りに誰がいようと気にしなかっただろうし、自分が来るまではその人が避けられることによってできた大きなスペースがあった訳だから、本人も特に気にしていなかったかもしれない。

そもそも、そのホームレスは外が寒い中快適な館内で寝る場所を確保できただけでありがたいと思っていたはずだから、そこで他の客と同様に扱われたい等とは全く思っていないはずだった。強烈な臭いの中その人の側を立ち去らないことは、特にホームレス当人の尊厳を認める行為ではないし、席を立つ立たないで自分の倫理観が試される訳でもないはずだ。ホームレスを見かけることは大学院のあるボストンでも多くあるが、こういう状況でホームレスと近接した状況になったのは初めてだったので、改めて考えさせられた。修道女やホームレスのためのボランティアとして働いている人達等は、ホームレスとどういう気持ちで向き合っているのだろう。題名通り雑考に過ぎないが、また機会があれば、アメリカ社会で触れるこうした事象について書いていきたい。
by ubuntuk | 2011-01-05 09:16 | 雑考
←menuへ